私が住むイスラエルにおける「共存のための住み分け」については、本コラムで過去2回取り上げた(2019年8月1日付、2021年2月21日付)。その趣旨は「生における大原則に関わり、寛容や歩み寄りによって妥協点が見出せない問題がある場合は、不幸な暴力の発露を避けるために住み分けで解決するしかない」ということなのだが、コロナ禍においてはそれがうまく機能しなかった。ウイルスやワクチンに関する考え方が、ユダヤ教超正統派と世俗派の人々の間で異なっていたためである。そして今、公共交通機関における男女別席問題が改めて注目を集めている。
ユダヤ教超正統派の男性は、宗教的規定に従って家族以外の女性の隣席には座らない。航空機や乗合タクシーの場合は、自発的に席を代わってくれる人が出現することで解決に至ることが多い(それでもそのトラブルで飛行機の離陸が遅延したりする)。また超正統派の人々が主として利用するバス路線では、男性は前、女性は後部座席という区分けがされてきた。この件は世俗派の人々の生活に関わらない限り、さほど問題にはならない。それが最近、短期間のうちに立て続けに、世俗派が利用するバス路線で問題が起きるようになったのである。
例えばアシュドッド地区で路線バスに乗ろうとした10代の少女たちのグループは、ノースリーブの服装だったため運転手にショールで体を覆って後部座席に座るように言われた。また同地区で別のバスに乗ろうとした女性は、これは男性専用のバスだから乗せられないと乗車拒否され、酷暑のなか目的地からかなり離れた場所に到着する路線に乗ることになった。テルアビブ近くの路線バスに夫婦で乗った乗客のうち、妻(ホロコースト生存者)が運転手に降車場所について何度か尋ねたところ返事がなく、夫が抗議すると運転手は「女性とは話さない」と答えた。また男女混合の10代のグループがバスに乗り、男女隣り合わせで座ろうとしたら、運転手の指示で男子は前、女子は後ろに座らされたというケースもある。
このような男女区分は、ユダヤ教の宗教法では正しいことなので、そのような指示をした運転手はそれが差別だという意識はなく、自らの信念に沿って行動したのだろう。だがイスラエルの市民法に照らし合わせると、これは明らかな違法行為である。今年になってこの問題が急に目立ってきたのは、今の政府だとそれが許容されそうな雰囲気があることが指摘されている。被害者たちはバス会社に抗議し、バス会社は運転手の再教育を約束した。また、民間のNPOが独自にバスの見回りを始めることになった。そして事態を重く見たネタニヤフ首相とレゲブ交通相は、「これは明らかな違法行為で認められない」という声明を出すに至った。
宗教法では男女を分けなければならない。だが市民法では、バスのような公共交通機関において、男女で席の区別を設けることは認められない。この矛盾を解決するには、住み分けしかない。だが近年は、出生率が高い宗教派の人々の人口が増えてきている。世俗派の人々が懸念しているのは、将来多数派となる宗教派の意見で市民法が変えられ、宗教法で自分たちの生活全体が覆われることである。つまりこれは、単なる女性差別問題ではないのである。自由で平等な民主主義国家と、ユダヤ国家という二つの理念の間でイスラエルが今後どのような舵取りをしていくのか、見守っていきたい。
山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。