5月にロンドンで行われたチャールズ王の戴冠式は、日本でもテレビ中継されたと聞いた。イギリスでは全国的にお祝いムードに包まれたと思われるかもしれないが、私の住むエディンバラの街は正直いつもとまったく変わらない様子だった。イギリスの世論調査機関YouGovが4月13日に実施した世論調査によれば、「戴冠式にどの程度関心がありますか?」という質問に対し、スコットランド住民の35%が「あまりない」、47%が「まったくない」と回答したという。また、「チャールズ国王の戴冠式を見たり、戴冠式の祝賀行事に参加したりする可能性はどの程度ありますか?」という質問には、20%が「ほとんどない」、50%が「まったくない」と回答した。こうした数字から、スコットランド住民の戴冠式に対する関心の低さがうかがえる。
これは、スコットランドとイングランドの歴史的緊張関係が関係している。14世紀以降、スコットランドは独立の王国として存在していた。しかし、17世紀初めにスコットランド王であったジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位したために、スコットランドはイングランドと同君連合体制(一人の君主、二つの議会)をとることになる。
その後、独立を目指す運動は常に存在したが、最終的には1707年スコットランド議会解散をもってイングランドに統一された。この過程では、ゲール語やタータンの使用といったスコットランド文化を弾圧する動きもあり、それが現在にも残る根強い反イングランド感情につながっている。またフランスをはじめとした大陸との歴史的つながりが強く、イギリスのEU離脱をめぐる国民投票でも、スコットランド住民の62%がEUに留まることを望んだ。多くの住民の意思に反してのEU離脱やウェストミンスターの近年の政治的混乱を受け、スコットランド独立を求める声がますます高まってきている。チャールズ王戴冠式に対する関心の低さも、こうしたイングランドとの長年の政治的緊張を反映したものといえよう。
ただ、街のやや冷めた反応とは対照的に、私の働く教会では、教会員からのリクエストが多く、戴冠式を祝うお茶会が2回開かれた。お茶会では、「God save the king(神よ国王を護りたまえ)」のかけ声とともにシャンパンで乾杯があり、国歌斉唱も行われた。王を首長として擁する英国国教会とは異なり、長老派のスコットランド国教会は、王もまた1人の教会員として扱うことになっている。しかし、高齢者が会員の多くを占める現状では、私の働く教会のように、教会員の希望に添う形でこのような祝賀行事が行われたところも多かったようだ。お茶会で隣に座っていた80代のご婦人が「最近は暗いニュースばかりだったけれども、戴冠式のニュースのおかげで気持ちが明るくなった」と話していたのが印象的だった。
一方で、教会に出席していないスコットランド人の友人、とりわけ若い世代の間では、王政に対して批判的意見を持つ人が少なくない。彼らは今回の戴冠式に関しても、物価高の影響で経済的格差がますます広がる中、巨額の税金を投じてこのような儀式を行う必要があるのかと懐疑的だった。これは、若い世代ほどスコットランド独立を支持する傾向にある他、奴隷貿易や植民地主義といった歴史への関心が高いことも関係しているだろう。
例えば、今回の戴冠式でカミラ王妃が身に付けた王冠には、植民地時代に南アフリカから持ち込まれ、今も返還の是非が議論されている宝石が使用されており、イギリス国内でも批判が起こった。スコットランドという地域が英国王室から歴史的に政治的抑圧を受けてきたこと、またこの差別的構造がグローバルにも展開して、王室という制度を強化してきたことに、若い世代ほど自覚的なのだ。
もちろん、イギリスの教会もこのような構造に加担し、恩恵を受けてきた制度の一つである。とりわけ長老派の伝統を有するスコットランド国教会が、今回の戴冠式の機会に一切の歴史的内省を試みず、この権力委譲の祝祭を無批判に受容したことはいささかナイーブといわざるを得ない。教会に通わない若い友人たちと話す時、教会のメッセージは「自分たちにとって妥当性がない」という意見をよく耳にする。「歴史」や「伝統」を反省なしに受け入れるのか、あるいはその背後に隠された抑圧に目を向けるのか。いまスコットランド国教会で見られる若者離れの背景には、こうした世代間の温度差があるのかもしれない。
藤守 麗
ふじもり・れい 1998年東京生まれ。京都大学文学部キリスト教学専修、エディンバラ大学神学部修士課程聖書学コース卒業。現在は、スコットランド国教会にてユースワーカーとして働く。主な関心領域は旧約聖書のフェミニズム、ポスト・コロニアル解釈。