【Web連載】「14歳からのボンヘッファー 」(7)推しとともに、推しの前で、推し無しで生きる 福島慎太郎

「もう生きていけないかもしれない」。友人から連絡が来た。

この日は彼の推しであるアンジュルム 竹内朱莉さんの卒業コンサートが行われた。

アイドルになじみのない人にとっては大袈裟な話だと思うが、オタクにとって推しの卒業は死活問題。十数年間ステージの上で夢や希望を体現し続けてくれた魂の支えが、1日にしてふっと手の平から砂がこぼれ落ちるようにいなくなるのだ。

実は、この僕もオタクである。アンジュルムと同じ事務所(Hello! Project/ハロプロ)に所属するつばきファクトリーの豫風瑠乃(よふう ・るの)さんを応援している。そして、ハロプロはグループの垣根を超えてオタクの一体感が凄まじく強い。だから彼の痛みは僕の痛みでもあり、それゆえにかける言葉もなく呆然と立ち尽くすしかなかった。

「推し」という言葉は昨今のアイドルブームによりパッケージ化されたフレーズとして売り出されているが、実はこれを嫌がるオタクもいる。なぜならわずか10~20代にして何千、何万人の前に立ちパフォーマンスをする「度胸」や、辛く長い練習を耐え抜いて常に見る人を笑顔にする「生命力」は良い意味で異様な光景であるし、何より人間の限界を突破した存在だからだ。

話を戻そう。オタクにとって推しの卒業は辛い。もちろんこの世界に永遠なんてないが、あるならばそれに越したことはない。推しがいつか消える、もう目の前にはいない。あぁ、なんて無情な世界なんだとうなだれる。

こんな時、僕はキリスト教とアイドルに強烈な相関関係(似ている点)を覚えている。それは「推し(神)が見えない世界でも、なお生きていく」という営みだ。

推しの豫風瑠乃さん。歌と歌への世界観がとにかく好きすぎる。

クリスチャンのイメージとは何だろう。四六時中祈り続け、聖書を読み、神の存在を実感している人のことだろうか。残念ながらそんな人はいない。理想かもしれないが、現実的にそんな修道士のような生活をしている人はごくわずかだし、何より神の姿など誰も見たことがない。

ボンヘッファーは、こんな言葉を残している。

「神とともに、神の前で、神無しで生きる」

信仰、何かを信じて歩む道とはこのような世界だと言うのだ。ちなみにこのフレーズは、数十年以上その意味について議論がなされている難解な箇所の一つだ。

僕は伝道師だ。でもイエスは見えない。彼は2000年前に死んだ。だけど、今日もイエスを追いかけたくなる。それは残された彼の言葉や活動を通して、どこかに「死んでもなお生き続ける魂」を感じるからだ。

物質主義の時代、実証主義(理論的に証明されないと正しくないという考え)の社会。形あるものに信頼を見出し、誰かから「いいね」をもらわないとその価値を見出せない現代。でも、本当に価値あるものは誰かや何かの影響を受けることなく、僕たちの心の中に残り続けると思う。

新約聖書の約半分を書いたとされるパウロがいる。彼はイエスの死後、その教えに共感し、あらゆる場所で福音を伝え、各地域の人々と教会に手紙を送り続けた(その手紙が今の新約聖書の約半分となった)。

実はパウロはイエスに会ったこともないし、見たこともない。そもそも彼はユダヤ教のエリートであり、貧しい者に施したりどんな罪も赦すと宣言する活動家的なイエスとは対極にいた。だが彼はイエスの幻を見て、その公生涯を弟子たちから聞き、生き方が変わった。イエスの言葉と生き様が彼の魂を震わせたのだ。そんなパウロはイエスの前に立ち続けた。どんな困難が起ころうとも「イエスよ、あなたならどうするのか」と問い続け、徹底的に聖書の語る神の国の実現のために活動した。

そして何よりもパウロは、たとえイエスが見えなくても、他の人からすれば存在しないように思えたとしても、心の支えとして生き続けた。それは、彼の魂の奥底にイエスの命が宿っていたからだ。だから彼はイエスが目に見える形で見えなくとも、その魂に生きる姿を見出し類稀なる伝道者としての生涯を歩んだのだった。

パウロの生涯からこう思う。それは「僕たちに大切なことは目に見えるかどうか以上に、その人やもの、経験が何を残してくれたのかを見つめること」だと。そこにこそ魂があり、メッセージがある。見えるか見えないか、証明されるか否かより、僕たちの心を突き動かすのなら既にそれは真実であり僕たちとともに生きているのだ。

数日後、友人から再び連絡が来た。「竹内さんはもういないけど、竹内さんが僕たちに残してくれた笑顔と努力の大切さを胸に生きること、これこそ彼女が本当に願っているものだと思う」

彼は推しとともに、推しの前で、推し無しで、新しい一歩を歩み出したのだ。

ちなみに竹内朱莉さんは僕と同い年。

おでんくん、これからの歩みに祝福があるよう祈っています。

 ふくしま・しんたろう 牧師を志す伝道師。大阪生まれ。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝などの運営に携わる。同志社大学神学部で学んだ弟とともに、教団・教派の垣根を超えたエキュメニカル運動と社会で生きづらさを覚える人たちへの支援について日夜議論している。将来の夢は学童期の子どもたちへの支援と、ドイツの教会での牧師。趣味はヴァイオリン演奏とアイドル(つばきファクトリー)の応援。

【Web連載】「14歳からのボンヘッファー 」(6)神の愛は泥臭い 福島慎太郎 2023年7月6日

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