主に背負われてきた教会で 古川和男 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

いちごとメタセコイアと獅子舞の町、香川県木田郡三木町にある唯一のキリスト教会が池戸(いけのべ)キリスト教会。よくぞキリストは、ここにこの教会を始めてくださったものだ、と思います。始まりは1978年のラルフ・カックス宣教師による開拓伝道。同じく単立の多くの近隣教会が応援し、交流があった中、元気に教会形成をしていった様子が、15周年記念誌『橄欖』に生き生きとあふれています。

町中心部での礼拝場所を2回転居、現在地の高台の土地購入・会堂移転(1992年)、現会堂の新築(2015年)に至りました。その間、所属は単立から日本長老教会への加入をし(2001年)、歴代牧師は三木(現・マーチン)冨美子牧師(1984~1993年)、小畑進牧師(1994~2009年)に始まって、ぼくが5人目。信徒の方々にも数えきれぬドラマがあり、新来者が加わり、去る方と入れ替わり、年を取り、世代交代を経ての今です。

春に満開の桜と、教会のシンボル「十字架鉄塔」の組み合わせが圧巻なのですが、そのソメイヨシノも最初は小木だったそう。真っ白だった十字架鉄塔はさびの劣化が目立ち、今年の信徒総会で撤去を決定。近々工事となるでしょう。主が先立って教会を導いてくださった、50年分の歳月を重ねた、ずっしり尊い今なのです。

「認知症」という言葉が、教会の会話の端々に聞こえます。自分の両親、配偶者、職場、そしてご本人の衰えが深刻な現実問題。コロナ禍が追い打ちをかけ、高齢者にとっては、感染への不安と、教会という居場所を失った不安のジレンマも吐露されます。でも高齢化は、「問題」というより「ニーズ」です。認知症と教会生活は相容れないものではないはず。「認知症と信仰」ってテーマで時間を取りたい、この時代に仕える「安心して認知症になれる教会」を目指したい、とあれこれ考えました。

そんな矢先、東京基督教大学がオンラインでの拡大講座「どこでもTCUエクステンション」で「認知症の人と共に生きる」セミナーを開催してくれました。今年1月から4回の土曜日、牧師館で7名の方々と視聴しました。認知症の基礎知識、適切な対応、教会への提言を一緒に勉強。励まされたのは、認知症の第一人者で晩年、認知症の当事者となった長谷川一夫さんと、当事者発言の世界的な第一人者、クリスティーン・ブライデンさんとの「出会い」。お二人ともキリスト者で、誠実で謙虚に聖書の言葉を届けてくれました。クリスティーンさんの著書の一つは『私は私になっていく』=写真。曰く、「認知は衰えても、感情は残り、魂は最後まである」。おお~、なんとタフな人間理解だろう! それでいいのだ!

充実した1時間のクラスの後はティータイム! 少人数での飲食も久しぶりです。感想や分かち合いは「あの名前、なんだっけ?」「ええと、あれ?」をしょっちゅう挟んで、笑いながら、安心した雰囲気で、大いに盛り上がりました。「安心して認知症になれる教会」がここに始まった(?)のです。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」(イザヤ書46章4節=新改訳2017)

古川和男
こがわ・かずお 1968年秋田県生まれ、北九州市と新潟市で育ち。東京基督教短期大学修了(4年課程)。伊達福音教会(北海道)、東吾野キリスト教会(埼玉)、パース日本語教会(オーストラリア、短期)、鳴門キリスト教会牧師を経て、現在、日本長老教会池戸キリスト教会牧師。趣味は、ジョギング、ジャム作り、橋ウォッチング。共訳書に『ウェストミンスター小教理問答で学ぶ よくわかる教理と信仰生活』(いのちのことば社)など。

関連記事

この記事もおすすめ