長引く「ゼロコロナ政策」の影響 遠山 潔 【東アジアのリアル】 

中国の「ゼロコロナ政策」が依然として続いている。先日は上海の大手家具店で突然の封鎖が行われ、一部の客が無理やり店外に出ようとし混乱した。その状況が報じられ、この戦略が街の人たちの心理にどれほどの影響を与えているのであろうかと考えさせられた。市民の不安は我々の想像を絶するものであるに違いない。

「正常な日常生活」を送るためには、北京では現在でも72時間に一度はPCR検査を行い、陰性証明を随時提示できるようにしておかなければならない。買い物に出かけるにしてもその証明書(ほとんどの場合は電子版)を店員に提示しなければ入店すらできない。そのため街中の2キロ以内のところにPCR検査のための小さな小屋が林立し、市民はその検査のために時間を割くことを余儀なくされる。かなり前では「ご飯食べた?」や「忙しい?」というのが一般的なあいさつだったのが、近ごろは「PCR検査やった?」に変わったという。

日常生活への影響を考慮すると、これは教会も他人事ではない。公認教会ではもとより、中規模の家庭教会においても神経をとがらせているようだ。入室前にスマホの画面をかざす仕草は、すでに人々の自然な動作と化している。ただ、中には依然として懸念を抱いている人もいるようだ。「この技術を使って行動を監視されているような気がしてならない」。そう吐露するのは何も高齢者だけではない。自らの行動がもしかしたら記録されている。その可能性があるので、教会の礼拝も対面式では参加しない。そうした人が漸増しているという。

中国研究で著名な国分良成氏がたいへん印象深い言葉を述べている。「中国研究では、『中国の言っていることより、やっていることが大事』、これが基本である」(『世界経済評論』2022年7・8月号、3頁)。市民の身の安全を守るためという建前での現在のシステムも、実際にどのように運用されているか不明瞭な中では、どうしても危惧されてしまうのも致し方ないのかもしれない。

撮影=A.Z.

システム云々もそうだが、むしろ長期化するゼロコロナ政策そのものが憂慮に堪えないと考える若者たちもいる。特に子育て世代の懸念は顕著のようだ。「このゼロコロナ政策が自分の子どもにどういった影響を及ぼしているのかが分からず、先行きが不安で仕方がない」。そういった言葉をよく耳にするようになった。「コロナが長引いて、このゼロコロナ政策が長期化すればするほど、子どもたちへの心理的影響が計り知れない」。ある教会の姉妹がそのように話した。

一方で、こうした懸念事項が教会において活発な議論を逆に引き起こしているという現象も見られる。今まで教会が無関心だった領域に、新型コロナにまつわる懸念によって逆に関心が高まりつつあるというのだ。その中の一つが環境問題である。特に都市部のごみ問題への関心が高まっている。日本同様、コロナ隔離のため急増したのがデリバリーサービスであるが、これは便利な反面、プラスチックごみ問題を巻き起こしている。またPCR検査も同様の懸念がある。72時間に一度の頻度で全市民が実施しなければならないというのは驚愕の数字である。その検査は必須だが、それによって生じるごみ問題はどう解決されているのだろうか。こうした問題に対して教会はいったい何ができるのであろうか。答えが見つからないが、教会の若者たちは葛藤し始めている。

この6月、日本ではリチャード・ボウカムの邦訳が上梓された(『聖書とエコロジー』山口希生訳、いのちのことば社)。もしかしたら中国の兄姉たちのように、我々日本の教会においてもこうした議論が活発化していくのかもしれない。

遠山 潔
 とおやま・きよし 1974年千葉県生まれ。中国での教会の発展と変遷に興味を持ち、約20年が経過。この間、さまざまな形で中国大陸事情についての研究に携わる。国内外で神学及び中国哲学を学び修士号を取得。現在博士課程在籍中。

関連記事

この記事もおすすめ