お墓の前で 川﨑正明 【夕暮れに、なお光あり】

2022年は、私にとって二つの意味がある。それは20年前にさかのぼる2002年の出来事で、一つは32年間勤務した職場を定年退職したこと、もう一つは妻が60歳で死亡したことである。「20年」という区切りとして、2人の子ども(58歳の息子と54歳の娘)が1泊旅行を計画し、その中で妻の墓参りをすることにした。私は1963(昭和38)年に、当時幼稚園の教諭をしていた妻と結婚し、彼女は牧師とキリスト教学校の教師であった私のパートナーとして、39年間を共にしてくれた。

兵庫県の有馬温泉の近くにある白水峡公園墓地に、妻は眠っている。親子3人で久しぶりにお墓の前に立って妻・母を偲んだ。妻は卵巣癌で何度も入退院を繰り返しながら闘ったが、症状は末期を迎えていた。最後の望みをということで、滋賀県のある病院に入院することなり、その前夜の3月31日は近くのシティーホテルに宿泊した。妻は痛みのために七転八倒して苦しんだ。私は側にいて何もできないでうろたえていた。実は、3月31日は私の定年退職の日(年度の最終日)、私たちの39回目の結婚記念日、そしてイースターの日曜日という三つのことが重なる日だった。夜が明けるころ、妻が言った。「何もできなくてもいい。あなたが側にいるだけでいい」と。一睡もできないで夜が明けた4月1日に入院、そして2週間後に、家族の前で一筋の涙を流しながら召されていった。3月31日は私にとって、あまりにもドラマティックな1日だった。

1年後、白水峡公園墓地に妻を葬った。横長の洋型墓石に、旧約聖書(口語訳)伝道の書3章11節の言葉「神のなされることは皆その時にかなって美しい」を刻んだ。テノール歌手秋川雅史は美しい声で、「私のお墓の前で/泣かないでください/そこに私はいません/千の風に/千の風になって/あの大きな空を吹きわたっています」と歌う。私たちは、妻のお墓の前で泣かなったが、さわやかな公園の風に吹かれながら、妻が見えない風(霊)となって、私たちのこころの中に吹いていると思った。

本紙で上林順一郎牧師が「墓は、どうする?」と書いておられたが、私は妻が眠るこの墓に葬られることが決まっている。お墓の前に立って子どもたちは何を思ったか分からないが、少なくとも85歳の私は確実にこの場所に近づいている。日射しを受けて光る墓石に写る我が顔を見つめていると、「あなたが側にいるだけでいい」と言って逝った20年前の妻の言葉がよみがえってきた。

 

かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。

【夕暮れに、なお光あり】 墓は、どうする? 上林順一郎 2022年6月11日

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