【映画】 ジェンサンの風 『義足のボクサー GENSAN PUNCH』主演・尚玄インタビュー

義足のため、日本ではプロのボクシングライセンスを望めない沖縄のボクサーが、フィリピンへ渡りプロを目指す物語。沖縄+フィリピン発の映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』が公開される。本作の全国公開を控え、自ら起案し8年をかけ実現させた主演・尚玄に話を聞いた。

「メンドーサとの仕事は、芝居の根本に立ち帰れる経験でした。ようやく俳優として地に足をつけた一歩目が踏み出せた気がします」

すでに約50作へ及ぶ映画・TVドラマ出演履歴を誇るベテラン俳優・尚玄をしてそう言わしめたブリランテ・メンドーサは、母国フィリピンのみならず今日の東南アジア映画を力強く牽引する映画監督だ。その門下から多くの優れた新人監督が台頭している点も含め、日本の是枝裕和や韓国のイ・チャンドンに並ぶ存在といってよい。早くから国境の枠を超えた足跡を残してきた沖縄出身の尚玄にとって、この巨匠との協働は文字通りに画期となる体験となったようだ。

ブリランテ・メンドーサ(Brillante Mendoza)は、1960年ルソン島中部の都市サンフェルナンドに生まれた。大学卒業後は映画美術へ携わる一方、広告業界のデザイナー、アートディレクターとして活躍したあと、2005年『マニラ・デイドリーム』で監督デビューを飾る。2009年作『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』では、カンヌ国際映画祭監督賞を獲得し注目を浴びた。汚職や麻薬戦争、紛争の犠牲者などにスポットを当てつづけるメンドーサの現時点における代表作『ローサは密告された』の母国公開日と、暴力的ともいえる強権政治で知られるフィリピン・ドゥテルテ政権の発足とが同じ2016年6月であったことは象徴的だが、日本での知名度はもとより世界の映画界においてその地位を確定させた同作もまた、マニラのスラムが舞台であった。

それら混沌と犯罪に彩られた首都の闇を描く作品群に比べると、本作に描かれるミンダナオ島南岸の町ジェネラル・サントス(General Santos, 略してGENSAN)はずっとのどかで、どこか沖縄の町にも近しさを感じさせる。尚玄が扮する主人公は、この町のボクシングジムでトレーニングを積みプロテストへと臨む。日本国内での活動履歴も長い尚玄に、風土や現場感覚の違いを尋ねると次のような応えが返ってきた。

「人々の大らかさや時間に対してすこしルーズな感覚は沖縄に近く、東京で活動しているときよりリラックスして過ごせました」

しかしメンドーサの放つ眼光は、そうした朗らかな空気とは対極の刺激と緊張に充ちていた。実際、イスラム武装勢力による観光客誘拐事件を描く『囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件』(2012年)ではフランスの大女優イザベル・ユペールを起用し、レイテ島を襲い6000人の命を奪った台風災害を映画化した『Taklub』(2015年)ではフィリピン映画史上の伝説的女優ノーラ・オノールを連続主演復活させるなど、時間軸的にも空間軸的にも広い視野のもと構想される自作に対する、メンドーサの要求水準はおのずと高い。彼や彼の門下に属す若手監督らの作品群にはしばしばメンドーサ組とでもいうべき面々が登場するが、これは高い要求水準に適う役者が限られることを意味してもいる。複数台のカメラを同時に回し、役者に台本を渡さず、リハーサルも行わないメンドーサ演出について、尚玄はこう語る。

「台本だけでなく、どのタイミングでどう動けばいいという細かな指示もないんです。ただ役に入り込んで、その場で起こることへの対応を求められる。どれだけ自分の中に役を染み込ませられるかが問われる。それに撮影現場で休憩していて、ふと気づくとカメラが回されていたりする。だから気を抜けない。そういう独特の厳しさがありました」

やや日本人離れした風貌を理由に子どもの頃からイジメに遭い、業界のプロデューサーに「日本の芸能界では成功しない」とまで言われたと明かす尚玄。筆者の眼には、メンドーサ組として見慣れたフィリピン人俳優のなかで、日本語を話す既知の日本人俳優が躍動するだけでも目覚ましく映ったが、尚玄当人にとって本作は、沖縄で米軍と取引する裏稼業の主人公を演じ製作にも携わった長編デビュー作『ハブと拳骨』(2006年)を、初めて超える大きな存在となった実感があるという。冒頭の「地に足をつけた一歩目が踏み出せた」とはこうしたニュアンスを含んでおり、その実感を裏付けるかのように、尚玄のフィルモグラフィーはこの1、2年でガラリと色彩を変えつつある。

こうした変化は、役柄に対する取り組みの姿勢にもあらわれる。たとえば義足によるリング上のファイティングシーンは、高度な特撮やCGをほぼ使用せずもっぱら尚玄自身の片脚を義足に見せかけ撮影されたものだが、撮影時間外にその姿のままでいたところ初見の部外者から本物の障碍者と勘違いされたことがあった。この際には腫れ物を扱うように気遣われたため、義足だからって馬鹿にするなと腹立たしい思いに駆られるほど没入しきっていたという。ろう者の家族を描く『コーダ あいのうた』が今年の米国アカデミー作品賞を獲得したように、様々な角度からマイノリティ視点にたつ作品が脚光を浴びる近年の潮流のもとで、演技の幅をひろげるこのような経験は必ずや今後活きる機会が来るだろう。

また、実はコロナ禍により本作の撮影は15カ月ほど中断した時期があり、いつ再開されるかわからない状況のなかで続けた日々のトレーニングは撮影後も習慣化し、いまのほうが撮影当初よりもからだは引き締まっているという。本紙インタビューは平日の昼一番に行われ、取材場所へ現れた彼の身体からはやや熱をもった張りを感じたが、ジムから来たと聞き合点がいく。作品宣伝期の役者や監督は多くの場合スケジュールに忙殺され煩雑な空気を醸しがちなためもあり、その颯爽とした風体は言葉による応答にもまして、尚玄の表現者としての強味に触れた感のある一幕であった。

©2022「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会

那覇高校を卒業した尚玄は、渡米し親戚の家へ住み込んだりバックパッカーとなって世界各地をめぐり、モデルとしてキャリアをスタートさせたあとも欧米への武者修行を重ねるなどフットワークの軽さを示してきた。近年はマレーシアの連続ドラマへのレギュラー出演など海外の仕事も増え、この5月には新進のインド人監督アンシュル・チョウハンが撮る法廷物の主演作『DECEMBER』完成が発表されたばかりでもある。そもそも尚玄らが『義足のボクサー』原案をメンドーサ監督のもとへ持ち込んだのは、旧知の間柄であったシンガポール映画の巨匠エリック・クーへ相談したことがきっかけだった。こうして広がりゆく関係性の網目模様をみてもすでに、あるいはその初めから日本の芸能界・映画業界に埋没し得る存在ではないことが窺えよう。

那覇からみれば、台湾や香港・上海はもとより、韓国やフィリピンでさえ東京よりも近い。尚玄の「地に足のついた」役者道は、こうした汎アジア的スケールのなかで、まさにいま新たに歩みだされたのだ。

1972年5月15日、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還された。いわゆる沖縄返還、日本からみれば「沖縄の本土復帰」である。それからちょうど50年の節目となるいま、沖縄から世界を眼差す尚玄のスタイルは爽快にして極めて今日的にも映る。清王朝が1912年、李氏朝鮮が1897年まで存在したように、琉球王国は1879年まで存続した。思考の射程をながくとった時、沖縄が日本であることの自明性はまったく高いとはいえない。沖縄開発庁を返還の当日に発足させた日本政府は、まず国策として沖縄から内地への就業を奨励し、「沖縄人の同化(日本人化)」を促進した。しかし社会学者・岸政彦はその著『同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち』でこう述べる。

「沖縄人を日本人化しようとすることそのものが、沖縄は日本ではないという端的な時事を明るみに出してしまうのである。少なくともそこでは、沖縄と日本との、文化的、歴史的、経済的、社会的、政治的なあらゆる差異が、むしろ拡大されてしまうのである」

『義足のボクサー GENSAN PUNCH』では、尚玄演じる主人公がリング上でひるがえる日の丸を背にまとう場面がある。メンドーサがそこに格別固有の意図を込めたとは思われず、スポーツと国旗とがセレモニアルに結びつく光景をことさら斜に構えて断じる趣味を筆者はもたないが、シーンの中心で両手を突き上げる青年が

「沖縄の内か外かが大事で、東京もニューヨークも沖縄を出たらどこも同じです」

と語る尚玄であることの特異さは、やはり鮮烈に感じられる。

2006年の中井庸友監督作『ハブと拳骨』では、ヤクザとのトラブルに窮した終盤「ヤマトへ行こう」とつぶやき、水平線を望む窓際で三線を爪弾く尚玄の横顔が映しだされる。2020年の大阪を舞台とし、優に十を超える国籍の人物が入り乱れるリム・カーワイ監督作『Come & Go カム・アンド・ゴー』では、沖縄出身の怪しい社長を演じる尚玄がやはり摩天楼の夜景を背に三線を弾く姿で登場(上掲動画1:20:00~)する。おそらくは十数年後にも地球上のどこかで三線を弾く尚玄の姿を、私たちは銀幕のうちに目撃する日が来るだろう。それはどこの大陸か、あるいはさらに遠い南洋の島々か。これからが楽しみだ。

(ライター 藤本徹)

©2022「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会

『義足のボクサー GENSAN PUNCH』 “Gensan Punch”
公式サイト:https://gisokuboxer.ayapro.ne.jp/

5月27日(金)沖縄先行、6月3日(金)TOHOシネマズ日比谷にて先行公開、6月10日(金)全国公開。

【主要参考引用文献】

石坂健治 夏目深雪 編著『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~』 論創社 2019
John Hopewell,‘Gensan Punch’ Star, Producer Reteam with SC Films for ‘December’, Variety 2022
岸政彦 『同化と他者化 ―戦後沖縄の本土就職者たち―』 ナカニシヤ出版 2013

【関連過去記事】

【映画】 新たな潮流牽引する作品群がそろい踏み 「東南アジア映画の巨匠たち」 2019年7月5日

【映画】 どぅなんの風 『ばちらぬん』『ヨナグニ 旅立ちの島』監督インタビュー

【映画評】 島奥のかそけき呼び声 『緑の牢獄』 2021年4月20日

【映画】 ヤスミンのたしかな足跡 『細い目』インタビュー 主演/シャリファ・アマニ、音楽/ピート・テオ 2019年10月24日

【本稿筆者による言及関連作品別ツイート】(言及順)

この記事もおすすめ