Q.結局教会は何を最終目的としているのですか?(30代・男性)
戦争のない社会、貧富の差のない社会、性差別のない社会、すべての個人が尊重される民主主義社会、公害のないエコロジー社会……。こうした社会が実現するならば、人類はどんなに幸せな存在になることでしょう。
これらの目標は人類共通の願いであり、多くの社会、多くの国家はこうした目標に近づくべく努力を重ねてきました。しかし、教会の目指すものはこれらの目標とは異なっています。
「何よりもまず神の国と神の義を求めよ」というイエスの言葉があります。ここに教会の最終目的が示されています。「神の国」とは、そこで神が神として崇められ、神のみ心が行われるところです。
人類は、神なしに理想の社会を実現しようとして多くの努力、多くの試行錯誤を重ねてきましたが、今も戦争と争いは地上に絶えることなく、人類はますます増大する核戦争による絶滅の恐怖の下に、21世紀を歩んでいます。
聖書は人間に関わるすべての悪と悲劇の根底にあるものは、創り主である神を離れて生きようとする人間の罪にあると宣言します。人間を見る聖書の目は厳しく、罪の下にある人間が人間の力で理想の社会を実現できるとは見ていないのです。
こうした罪の下にある人間の救いのために、神の独り子、イエス・キリストが地上に遣わされ、その命によって人間の罪をあがなってくださいました。神の国は、人間の努力によって到来することはなく、ただ愛なる神の意志によって到来します。
人間は現実の世の多くの困難の中で、福音を信じ、祈りつつ神の国の到来を待ち望む存在です。
イエスは、「主の祈り」において、次のように祈ることを教えました。「御名が聖とされますように。御国が来ますように。/御心が行われますように/天におけるように地の上にも」(マタイによる福音書6章9~10節)
ここに教会の進むべき道が示されています。それは教会が目指すべき最終目的ではなく、教会が祈りをもって待ち望むべきものです。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。