復活と感謝を思う「花まつり」 向井真人 【宗教リテラシー向上委員会】

業界ごとに、この月にはこの行事、といった定例行事はつきものだろう。お寺の業界であれば、盆暮れ正月両彼岸、各宗派の開祖命日、お寺を開いた僧侶の命日などである。4月といえば、日本では4月8日がお釈迦さまの誕生日とされ、誕生を祝う「花まつり」が日本全国の仏教寺院で行われる。キリスト教の4月といえば復活祭、イースターと聞いたことがある。お寺に生まれた私には偏った知識しかない。復活を祝う、イースターエッグ、うさぎ。恥ずかしながらそれくらいであった。ただ、私の子どもがとある教派の保育園に通っていたため、もう少し知識は積み上がっている。

「花まつり」の行事内容が寺院ごとに違うように、復活祭も布教方法や教えの受け止め方は教派・施設ごとに違うだろう。儀式には、必ず教えや実践(生活の中での宗教的な行動)が含まれているので、行事内容も異なりそうである。

旧約聖書の預言に従い、十字架上で処刑されたイエス・キリストの復活を祝うのが復活祭である。そして、復活祭までの受難週には、イエスが荒野での断食を経て、悪魔の誘惑と戦い克服したことにあやかる。現代に生きる我々も毎日の生活の中で自身の行き過ぎた欲望や生き方を見直し、己を克服する期間とするのだと聞いている。分かる人にはどの教派か分かるのであろうが、ここでの問題は復活とはこの私にとって、どのような事実であり、どのような教えを見出し、身に引き寄せて日々何をするか、しないかである。

あわせて復活祭に至る日まで、小さな欲望に打ち克つ、また自分にできることをしたら献金し、礼拝で捧げると教えられた。僧侶の私には、この「克己(こっき)献金」の実践の核には、復活と感謝があると感じた。貧困や戦争・飢えに苦しむ人々に目を向けよ、誰の中にでもある欲望に目を向けよ、イエスにならい克己を志せと。ここに僧侶の目線も加えるならば、煩悩と向き合い、仏性に気づこうとなるだろう。この文章を読んでくださっている皆様にとって、復活祭とは何であろうか。

イエスと並列するわけではないが、禅僧の私にとって、「復活」と聞くと、初祖達磨(だるま)を頭に思い浮かべる。インドから中国に禅を伝えた、禅宗の始祖といわれる達磨大師。おもちゃのだるま落とし、選挙の時に見ることが多いだるま、なすのだるま煮、ダルマストーブ、雪だるま。だるまのもととなった禅僧である。彼にはさまざまな伝説がある。インドから中国へ海を渡ってやってくる時に葉っぱに乗って移動した、150歳で没した、そしてきわめつけが、達磨大師が中国にて亡くなった後とある人がインドで達磨大師と出会い、会話をしたという生き返りの伝説である。

その時、達磨大師は裸足で片方の靴をもちインドへ帰るところであり、中国の当時の帝は亡くなっていることを告げたという。はたして墳墓を開けてみると、片方の靴しか入っていなかったという。彼は予言もなく知らぬ間に復活して、天竺へと帰っていたのだ。

お釈迦さまの誕生月である4月にキリスト教では復活祭がある。私には同時に、復活の謂れがある達磨大師が想起されるのだ。なにより4月8日にはお釈迦さまが生まれてくださった。お釈迦さまの教えは28代目の達磨大師に受け継がれ、中国に渡る。このはじまりのおかげで現代の日本仏教がある。そして、連綿と続く教えの流れの中に私がいる。「報恩謝徳」を思うのである。

復活と感謝とは、私にとって4月になると感じる仏教世界からのメッセージであり、復活祭からのメッセージでもある。

向井真人(臨済宗陽岳寺副住職)
 むかい・まひと 1985年東京都生まれ。大学卒業後、鎌倉にある臨済宗円覚寺の専門道場に掛搭。2010年より現職。2015年より毎年、お寺や仏教をテーマにしたボードゲームを製作。『檀家-DANKA-』『浄土双六ペーパークラフト』ほか多数。

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