7回目となるイスラーム映画祭が、今月下旬より幕を開ける。たったひとりでの企画運営という、初回からつづく小回りの良さも健在だ。コロナ禍による想定外の延期や客席半減措置に続々と見舞われた第5、6回の苦難を乗り越えた今、どこか腹が据わった風体さえ具わる主催者・藤本高之さんに話を聞いた。
日本初公開6篇を含む全14作が上映される今回は、東はアフガニスタン・イランから西はモロッコまで、いわゆる中東圏とその周縁に的を絞ったラインナップとなった。このため過去のタイ・ドイツから北中米まで製作国が広範に及ぶ総花傾向とは対照的な、引き締まった印象がまず際立つ。また女性やマイノリティに比重を置く構成も特徴的だ。妊婦の歌手を主人公としてチュニジアの独立前夜と王制の終わりを描く『ある歌い女の思い出』や、未婚の母の目線を通してモロッコ社会の歪みを見つめる『ソフィアの願い』など、マグリブ地域の作品が充実するのも注目点だ。
マグリブとは「日の没する処(المغرب)」を原義とするアラビア語で、狭義にはチュニジア・アルジェリア・モロッコとその周辺地域(モーリタニア・リビア等)や、イスラームにおける日没時の礼拝を指して使われる。近代化とは端的に西欧発の価値観や法制度が人類社会を覆う流れであり、植民地化により具現化されたその流れが初めに露わとなったのが、西欧諸国からみて地中海の対岸にあたるアフリカ北岸地域であった。帝国主義における父権的な支配/被支配の構造は、欧米や日本ではしばしば性差別の問題へ引き写される。ところがイスラーム圏の話となった途端、差別の源はなぜか宗教文化へと一方的に帰されてしまう。
この意味では、今回上映されるマグリブ映画5作のうち、実に4作が女性監督によることは興味深い。モロッコ映画『ソフィアの願い』や婚姻の不自由を描くチュニジア映画『ヌーラは光を追う』は差別的な法制度そのものをテーマとするが、イスラームを国教としイスラーム法を重んじるこれらの国地域においても、日本とも同様に現実の司法制度はフランスなど旧宗主国の近代的法理念をモデルとする。その底部に根づくキリスト教的価値観が、実生活面でイスラームの文化風習との間に夾雑音を奏でることも少なくない。藤本さんによれば、これらの地域で活躍する女性監督の比率は実際にも欧米より高いらしい。大戦時に欧州からアメリカへの通路となったため一旦は欧州文化の薫習を色濃くしたモロッコや、独立戦争以来の困難がなお根深いアルジェリアなど個別の差異はありつつも、マグリブ地域では総じて映画文化の波が常に遅れてやってきたために、意識的に新しい今日の流れはむしろメインストリームへ肉薄しやすい状況にあるという。
またこうしたなか、マッチョな男の自意識が当人を苛むボスニア作品『泣けない男たち』は異彩を放つ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で心に傷を負った男たちの集団セラピーを描く本作は、マッチョイズムの究極態ともいえる戦争の爪痕を通して、昨今指弾されがちな〝有害な男性性〟の本質を深く抉りだす。1990年代の旧ユーゴスラビア内戦は、冷戦崩壊により幕を明けた〝紛争の21世紀〟の鏑矢であった。したがって本作は性差を超え、同時期にアルジェリアで起きた内戦下の女性教師を描く『ラシーダ』や、アフガニスタン紛争の影響下で生きる少女を主人公とする『ミナは歩いてゆく』、各々アフガニスタン難民の6歳少女と老母を描く『子供の情景』『アジムの母、ロナ』へと直に響き合う。ゲイを公表するイスラーム学者や同性愛ゆえの迫害から難民化した人々を撮るドキュメンタリー『ジハード・フォー・ラブ』は、国・地域を広く横断したセクシュアリティへの着目によりイスラームの現在態を鋭く切り取る。
同映画祭初期のインタビューで、「10回は続けたい」「誰にも話題にされなくなってからが勝負」と将来への抱負を語ってくれた藤本さんだが、キツい時期にも回を重ねてきたことの価値が活きだすのは、いよいよこれからだという観も強い。初期には頻繁にあったムスリム当事者からの「イスラームをひと括りにするな」との批判も、最近はほぼ消えた。これは同映画祭が社会的にも定着した証左とも言え、実際イスラーム映画祭は、日本国内で開催される各国文化機関や大使館が主催・後援する映画祭群と同列の存在感を獲得してすでに久しい。藤本さんが恒常的に発信を続けるイスラーム関連情報を、映画の枠を超えた情報源として認知する人々の層もこの7年で桁違いに厚くなった。
近年は、上映後のトークイベントがない上映回においても、藤本さん自身が会場で簡単な解説を加えるケースがとても増えた。イスラーム映画祭名物として、主催者による前説を楽しみにする観客も今は少なくない。一方、頻発する国内ミニシアターでのパワハラ事件など昨今の映画業界周辺での不祥事についても、藤本さんは以前より積極的な意見表明を行っている。また関連出版物の充実も本映画祭の特色であり、今年も50ページのアーカイブ本が準備されている。映画祭を通じ「イスラーム」をめぐるイメージ・知識の深化を観客と年々共有するなかで、自らの責任への自覚も深くなったことが、こうしたスタイルに帰結するという。
「このまま淡々と8、9、10と回を重ねていきたい」と語る言葉は穏やかだ。すでに第8回上映作も固まりつつあるらしい。本映画祭を通じ、一生の宝といえるような鑑賞体験を得た観客は無数にいるだろう。ちなみに今回アンコール上映される『花嫁と角砂糖』は、ペルシャ伝統文化の色彩をあらんばかりにつめ込んだ、煌めく宝石箱のような傑作であり、筆者にとっては生涯のベスト10映画に数え得る作品だ。また同じくアンコール上映予定の『青い空、碧の海、真っ赤な大地』は、中間層の勃興した21世紀インドの若者が、紛争地の記憶色濃い北東州ナガランドへ恋人を訪ねツーリング旅へ出かける完全に新世代の作品で、個人的には前回のイスラーム映画祭で最も感動した傑作だ。映画館文化をめぐってはもとより厳しい状況がコロナ禍により猖獗を極めるなか、こうして着実に歩み実績を重ね深化しゆくイスラーム映画祭は、ますます他に代えがたい存在となりつつある。
「イスラーム映画祭7」
公式サイト:http://islamicff.com/
・渋谷ユーロスペース 2月19日(土)~2月25日(金)
・名古屋シネマテーク 3月19日(土)~3月25日(金)
・神戸・元町映画館 4月30日(土)~5月6日(金)
【イスラーム映画関連過去記事一覧】
【映画】 あるイラン人監督の祈りと覚悟 『少女は夜明けに夢をみる』 メヘルダード・オスコウイ監督インタビュー 2019年12月16日
【映画】 伝統料理フムスの兆しかもす未来 『テルアビブ・オン・ファイア』 サメフ・ゾアビ監督インタビュー 2019年12月13日
【映画評】 『わたしはヌジューム、10歳で離婚した』 児童婚の実態から見える普遍性 Ministry2019年2月・第40号
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『ラシーダ』
アルジェ近郊の女性教師が、過激派の若者から学校への爆弾設置を強要される。
アルジェリア映画初の女性監督作で、爆弾の製造から凶行へ至る冒頭に始まり、村のハマーム(公衆浴場)や結婚式などディティール演出も目を惹く、『パピチャ』前史とも言える迫真作。https://t.co/nXI44mfzYo pic.twitter.com/VfpHPFZHjG
— pherim⚓ (@pherim) May 1, 2021
『ミナは歩いてゆく』
アフガニスタンの今を生きるミナ12歳の溌溂。
母をタリバンに殺され、父は麻薬中毒。アルツハイマーの祖父を世話し路上で物売りする日々のせわしさの先で待つ、身を売られるか全てを捨てるかの究極選択。ミナ役少女の佇まいが放つガッツと生命力に終始魅入られる怒涛の珠玉作。 pic.twitter.com/24Gn9DJepd
— pherim⚓ (@pherim) May 4, 2021
『花嫁と角砂糖』
お気に入り映画生涯ベストを訊かれたらまず浮かぶ数作に入る、精巧な宝箱のような珠玉作。
こうして隠れた名作が、市場対応した配給ラインに乗らずとも個の手で運ばれてくることの幸福。イスラーム映画祭に感謝の極み。神戸・元町映画館にて明日上映あり。https://t.co/bfWpr43RFk pic.twitter.com/FhrigBj8c0
— pherim⚓ (@pherim) September 21, 2020
『青い空、碧の海、真っ赤な大地』
インド西南端ケーララ州から、
北東州ナガランドへの男2人のバイク旅。突如姿を消した恋人を追う旅なのに、
途上で出逢う女性達が激しく魅力的。マラヤーラム語を軸に9言語登場という豊穣。正しく継承された『モーターサイクル・ダイアリーズ』インド小宇宙版。 pic.twitter.com/Zs7kCQhT8X
— pherim⚓ (@pherim) November 9, 2021