数年前、ぶらっと入った古本屋で『老後の資金がありません』(垣谷美雨、中央公論新社)という本が目に留まりました。昨年、映画にもなりましたが、退職後の生活で起こるお金をめぐる人間模様を描いた物語で、身につまされるところも多々ありました。
実はそのころ、牧師を隠退することを決心し、家での話題はもっぱら老後の生活に関すること。「隠退すると、謝儀(給与)はないのですね」「そうだけど」「どうして生活するのですか?」「年金だけだね」「年金だけでやっていけるのですか? 老後の資金は2000万円が必要だと新聞にありましたよ」「そんな貯えがあるわけないよ」「……」
いずれ隠退するとは考えていたが、いざ現実になると隠退後の生活設計をまったく考えていなかったことに気がつきました。一般の企業とは違って牧師には「定年」がない場合もあり、続けようと思えばいつまでもやれるという自由さ(気楽さ?)もあって、隠退後の生活への関心がなかったことも事実です。しかし、いざとなって慌ててもすでに時遅し、なんとかなるだろうと思っても厳しい現実の日々です。
そんなある日、近くの本屋の棚に『74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる』(牧師ミツコ、すばる社)というショッキングな題名の本がありました。「牧師ミツコ」はペンネームでしょうが、著者は神学校を卒業し、同級生の牧師と結婚、「牧師夫人」としての役割を務めながら4人の子どもを育て、連れ合いが病気で牧師を退任した後は自ら主任牧師として10年間牧会の責任を持ち、退任後の今も協力牧師として教会に通い、働いておられるようである。こう書くと、なんだか「ビッグ・マザー」のように思えるが、本文中の牧師ミツコさんはまったく「フツーの人」。
「お金に頼る気持ちは、元々ありません。頼るのは神様だけ。どうしようもなくなったら、それが天に召されるとき。神様への圧倒的な信頼があるから、未来への不安もありません……死んだ後、天国にお金は持っていけません。何も残さずこの世を去るつもりです……老後の心配があまりないのは、牧師としての活動から、介護や福祉の現場を知っていることもあるかもしれません」
牧師ミツコさん、「フツーの人」ではないようです。
新しい年を迎えても「老後の資金がありません」と悩み続けるのか、それとも「悲しんでいるようでいて、常に喜び、貧しいようでいて、多くの人を富ませ、何も持たないようでいて、すべてのものを所有しています」(コリントの信徒への手紙二6章10節)とのみ言葉に生きるのか、迷いの続く「牧師ジュン」、82歳。
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』『ふり返れば、そこにイエス』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。