2006年、中咽頭癌になり、食事が十分に取れなかった。16年、パリ教会で奉仕中「類天疱瘡」を発症し帰国、即筑波大病院に入院。全身水疱と湿疹で苦しみ、毎日妻が持ってくるケーキとアイスを昼食と夕食後に食べた。21年2月初旬、心機能低下で入院。自分ではまったく動けず、これまで不可欠だったデザートを食べたいとも思わなかった。
今年の入院は、コロナ禍のためPCR検査が必須だった。陰性の結果が出たため無事入院許可が出たが、病室で妻がいないことに気付いた。知らず知らずのうちに「生き別れ」にされ、コロナ禍のため退院まで会えず〝澄代〟シックになった。妻の面会が許されないため、看護師が身の回りの世話をすべてする。マスコミではコロナ患者受け入れ病院が取り上げられるが、コロナ患者受け入れ病院以外の看護師は、看護業務に介護業務が課せられていることを知った。
入院生活での苦しみは、動く自由がないことと、妻に会えないことであった。喜びは、毎日妻が届けてくれる手紙と兄姉からの便りを読むこと、窓から玄関前の妻に手を振ることであった。
病室は4人部屋で外科の方は数日で退院し、個人的な交わりはできなかった。ただ、横浜から大子(だいご)町に移住された81歳のKさんとは親しくなった。Kさんはこれまで何度か癌で入院しており、過去には、入院中ご家族が別の病院に救急搬送され、Kさんが会いに行った時はすでに亡くなっていたということも経験したという。それ以来Kさんは退院後もすべて自分でしなければならなくなり、その苦しみを訴えられていた。小生ができることは祈るだけであった。今Kさんの様子は分からないが、毎日祈っている。
もう一人、Iさんとも親しくなり祈る時が与えられた。互いの病状や仕事のことを話すうち、「僕使」の働きを話すと涙を流された。Iさんが退院する日に「祈っていいですか」と尋ねると、「お願いします」と答えられた。それでIさんのために祈り終えると涙を流しておられ、主の導きに感謝した。その後Iさんがどうしておられるか分からないが、毎日祈るのみである。霊肉弱り果てている者にも、主は隣人の苦しみを知り祈る役割を与えてくださる。何の役にも立たないと思う者でも、この役割が与えられていることを感謝し、隣人のために祈りつつ歩みたい。
「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」(ピリピ2:4=新改訳2017)
ほそかわ・しょうり 1944年香川県生まれ。少年時代いじめっこで親、教師を困らせる。東京で浪人中63年キリスト者学生会(KGK)クリスマスで信仰に。聖書神学舎卒後72年から福音教会連合浜田山キリスト、北栄キリスト、那珂湊キリスト、緑が丘福音、糸井福音、日本長老教会辰口キリスト、パリ、ウィーン、ブリュッセル、各日本語教会で牧会。自称フーテン僕使。ただ憐れみで今日に至る。著書に『落ちこぼれ牧師、奮闘す!』(PHP出版)、『人生にナイスショット』(いのちのことば社)など。