中国の教会が届ける「ケアとキュア」 佐藤千歳 【東アジアのリアル】

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中国のクリスチャンの動向について日本のマスメディアは、教会活動に対する中国政府の弾圧のみを伝えてきた。それは宗教信仰を、「一部の人たちの私事」と位置づけるためであり、宗教が国全体の政治や社会情勢と関わる機会しか、信者たちに紙面(画面)を割かない。例えば、マッカ(メッカ)巡礼を理由に「再教育施設」に送られたウイグル族のムスリムや、礼拝で天安門事件に言及したため投獄された牧師についての報道がこれに相当する。

迫害される者に光をあてることはメディアの責務である。ただ、筆者もマスメディアで働いた経験があるので自戒を込めて言うが、非常に狭い宗教のとらえ方でもある。日本のメディアに登場する「共産党の弾圧と戦う敬虔な信者」は、推計5200万人の信者を擁する中国のキリスト教界では氷山の一角にすぎない。習近平政権が宗教統制を強化した後も、政府非公認の教会を含めたクリスチャンの多数派は、当局との政治的対立を避けながら礼拝を続けている。受洗者も絶えない。教会を取り巻く環境が不安定な中国社会で、クリスチャンがなぜ増加したのかという問題は、古くて新しい問いである。

中国の現況を踏まえると、教会が「キュア(Cure)とケア(Care)」、言い換えると「治癒と居場所」を提供してきたことが、信者が増加した理由ではないかと筆者は考える。以下、教勢を堅調に拡大したプロテスタント教会を中心に、「キュアとケア」の状況を紹介したい。

キュア(治療)を求めて教会に人が集まることは、複数の社会調査において、信者の7割が入信理由に「本人または家族の病気」を挙げたことからも明らかである。中国東北部の教会を筆者が2013年に訪問した際、「お狐様」のような民間信仰でも病院でも病気が治らず、「イエスが効く」と噂で聞いたのが教会通いのきっかけ、という信者が珍しくなかった。日本と異なり、中国のプロテスタント信者は所得水準や教育水準が低い社会的弱者の比率が高く、過半数が農村に住む。筆者は当初、社会保障や医療資源へのアクセスが乏しいため、教会に治癒を求めるのだと理解した。

だが、北京や上海など大都市の教会に詳しい中国の牧師たちによると、超自然的な現象を「証」と求める傾向は、現在の都市でも幅広く見られるという。例えば、IT産業が集積して「アジアのシリコンバレー」と呼ばれる深圳では、ホワイトカラーや企業経営者が集まる教会で治療儀式が行われている。公認教会の伝道者が、非公認教会の信者に向けて病気直しの儀式を行う例もある。「生活リズムが早く競争が激しい都市のストレスにさらされた人々が、教会の医療儀式に癒やしを求めるのではないか」と、ある牧師は説明した。

もう一つの「ケア」は、教会が信者の居場所になってお互いを気遣うことを指す。特にプロテスタントの非公認教会は「家庭教会」と通称される通り、10人程度の少人数で信者宅に集まる「小組」が教会活動の基本単位である=写真。小組は、日曜以外も祈祷会などで頻繁に集まり、互いに気遣い合う信者の居場所である。日本ではプロテスタントの新興教派や新宗教に近い活動スタイルかもしれないが、中国の信者には「教会に帰属感を感じられる」と受け入れられていた。

「イエスに祈れば病気が治る」という功利的な教義や医療儀式に、筆者は違和感を覚えることもある。ただ、癒やしと居場所は、中国に限らず個人化が進む現代社会で多くの人が求めるものである。人々の渇望や社会の課題に柔軟に向き合った結果、中国のプロテスタント教会は多くの信者に支持されているのではないか。かくいう筆者も、中国滞在中は現地の教会に温かく迎えられ、居場所を与えられた。諸般の事情で今はもう消えた教会を、懐かしく思い出している。

佐藤 千歳
 さとう・ちとせ 1974年千葉市生まれ。北海商科大学教授。東京大学教養学部地域文化研究学科卒、北海道新聞社勤務を経て2013年から現職。2005年から1年間、交換記者として北京の「人民日報インターネット版」に勤務。10年から3年間、同新聞社北京支局長を務めた。専門は社会学(現代中国宗教研究、メディア研究)。

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