2019年公開の第9作『スカイウォーカーの夜明け』で、42年にわたる歴史に幕を下ろした『スター・ウォーズ』シリーズ。銀河を舞台に繰り広げられる光と闇の戦いを、親子3代にわたる「家族の愛と喪失」の物語として描いた一大叙事詩には、聖書との共通性をいくつも見出すことができる。
砂と岩だけの惑星に住み、両親を知らず、同年代の若者たちのようにアカデミーに進むこともできず、ひたすら農場で働くだけだった青年ルーク・スカイウォーカーが、ひょんなことから宇宙を股にかけた冒険の旅に出る。怪しげな密輸商人と組み、囚われの姫を助け、悪の権化ダース・ベイダーと対決し、ついに(一時的であれ)銀河に平和をもたらす。
スター・ウォーズ第1作『新たなる希望』のストーリーだ。
それに続く『帝国の逆襲』では、宿敵ダース・ベイダーこそルークの実の父だったと明かされる。「私がお前の父だ(I am your Father)」の台詞は、第1作と真逆のダークなストーリー展開とともに観客に大きな衝撃を与えた。
そして旧三部作完結となる『ジェダイの帰還』。帝国軍と反乱軍の最終決戦の最中、ついにダース・ベイダーは父としての心を取り戻す。主人である皇帝パルパティーンと刺し違えて、絶体絶命のルークを助けたのだ。死にゆくダース・ベイダー(=アナキン・スカイウォーカー)は息子の腕の中、ついに安らぎを見出す。父と子の和解がなされた瞬間だ。
この初期の三部作のテーマを簡単に言い表すなら、「父親探し」であり「父との和解」であると私は思う。キリスト教文化が根付いたアメリカ社会らしいテーマだ。
「神はあなたの父である」というのは聖書の主要メッセージの一つだ(I am your Father はまさに聖書の言葉でもある)。この三部作公開当時の70年代から80年代、アメリカは世界最大の離婚国だった。父親を知らない子どもが非常に多く、父親像の回帰はまさに当時求められたテーマだったかもしれない。
しかし当時、まだ幼い私の心を捕らえたのは、そういった重い社会的テーマでなく、間違いなくSF宇宙活劇としてのスター・ウォーズだった。
宇宙を縦横に駆け巡る数々の宇宙船、大小さまざまな銃器、ジェダイのライト・セイバー、何十種類にも及ぶ造形のエイリアンたち、どこか人間らしいドロイドたち、戦いの舞台となるさまざまな特徴を持つ星々、そこで繰り広げられる息を飲むアクションと、ドラマチックなストーリー。その華やかなスペースオペラの世界に、私はすっかり魅了された。親に買ってもらった映画のパンフレットを夜遅くまで何度も眺め、そのオペラを毎晩のように脳内再生していたことを思い出す。
その後、アナキン・スカイウォーカーを主人公とする前日譚三部作がつくられ、レイ・パルパティーンを主人公とする後日譚三部作も作られた。それらをつなぐスピンオフ作品群が映画のみならずアニメや小説、ネット配信の連続ドラマなどで展開され、スター・ウォーズ世界は今なお広がりを見せている。
スター・ウォーズはさまざまな角度から検証される作品でもある。監督のジョージ・ルーカス自身が認めるとおり、神話的な構造から読み解くこともできる。ジェダイの精神性やフォースの善悪といったスピリチュアルな視点から語ることもできる。シリーズを通して繰り返される体制VS反体制という政治的視点から語ることもできる。実に懐が深い。前述の「父親探し」もそういった視点の一つだ。
それぞれの三部作を、作られた時代背景から読み解くのも興味深い。
ルークの三部作は、ベトナム戦争に続く東西冷戦の最中に作られた。勝敗のはっきりしない見えない戦いが続く中、善悪がはっきり分かれた、シンプルな勧善懲悪ストーリーを人々は求めたのかもしれない。
続くアナキンの三部作は、9・11同時多発テロに象徴されるテロリズムの時代に作られた。善と悪が不可分であるとはっきり示された時代だ。光の戦士だったアナキンが悪の化身ダース・ベイダーへ変貌する結末は、終わりの見えないテロとの戦いの中、正義の正体がわからなくなった世界の混沌を表しているようにも見える。
そしてレイの三部作で、初めて女性が主人公に据えられた。これは「♯MeToo」に象徴されるフェミニズム運動がかつてなく展開される「今」を表しているようにも思われる(今がどのような時代であるか、より正確には少し先の未来が語ってくれるだろう)。
このように本シリーズはさまざまなテーマを内包し、奥深い多層構造をなしている。さまざまな筆者が多様な視点から「神」について語る聖書に似ているかもしれない。シリーズを通して描かれる自己犠牲の数々は、キリストの十字架をなぞっていると言っても過言ではない。
スター・ウォーズの三つの三部作には「自分探し」という共通のテーマが流れている。
アナキンもルークもレイも、辺境の惑星で、極めて卑しい身分からスタートする。自分のルーツがわからなかったり、何者かわからなかったり、あるいは何者でもないと諦めていたりする。それがフォース(一種の超能力)に目覚め、ジェダイとして訓練され、銀河を巡る戦いに身を投じる中で、本当の自分を見出していく(あるいは不幸にも見失っていく)。キリスト者が聖書に触れ、福音に出会い、自分は「神の子」であると認識を改める過程にも似ている。
これは心理学的には「アインデンティティの確立」と言う。心理学者エリクソンによるなら、20歳前後で確立されなければならない発達課題だ。しかし今の時代、成人をとっくに過ぎた大人であっても、どれだけの人が自分が何者であるかはっきり認識しているだろうか。バブルが崩壊した90年代以降、「自分探し」という名の自己啓発が流行したのは、それまで当たり前のように考えられてきた標準的な(いわゆる昭和的な)人生設計が失われ、唐突に「自分なりの人生」を選択しなければならなくなったからではなかったか。「一億総自分探し時代」の到来、とでも言うような。
キリストはヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を受けた際、天からの声を聞いたという。「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」。おそらく彼はこのとき、神の子としてのアイデンティティを得た。そして得ただけでなく、自らそれを積極的に選び取った。だからこそ、その後の宣教活動がある。
同じようにアナキンもルークもレイも、過去の自分がどうであれ、出自がどうであれ、ジェダイの騎士としてどのように生きるべきか、自ら選択した。そしてアナキンはダークサイドを、ルークとレイはライトサイドを選んだ。そう、アイデンティティとは与えられるものでなく、自ら選び取るものだ。
私たちは生まれや血によって規定されるのではない。私たちが何者であるかは、私たち自身が決める。そしてその責任を負って生きていく。同様に、キリスト者はキリスト者であること自体がアイデンティティなのではない。キリスト者としてどのように行動するのか、どのように生きるのか、その選択にこそ、キリスト者としてのアイデンティティがあると私は思う。
(フリーライター 河島文成)
【作品情報】
遠い昔、はるかかなたの銀河系で繰り広げられるスカイウォーカー家の物語。辺境の惑星に住む奴隷の子、アナキン・スカイウォーカーは強大なフォースを見出され、ジェダイとして訓練を受ける。やがて銀河に闇をもたらす悪の権化、ダース・ベイダーに身を落とすとも知らずに(エピソード1~3)。
アナキンの子、ルークもやはり強大なフォースを身に秘めていた。彼もまたジェダイの騎士となり、銀河の命運を決する戦いに身を投じていく。しかしその前に実の父、ダース・ベイダーが立ちはだかる(エピソード4~6)。
孤児のレイもまた銀河を巡る戦いに巻き込まれていく。強大なフォースを持つ彼女の出生の秘密が明かされる時、スカイウォーカー家の物語はクライマックスを迎える(エピソード7~9)。
ジョージ・ルーカスの構想を基にルーカスフィルムが製作したスペースオペラ。1977年に実写映画の第1作が公開されて以来、アニメや小説、コミック、ゲームなど、多彩なメディアミックスを経て幅広いファン層から絶大な支持を得る。映画シリーズは、世界で最も興行的な成功を収めたシリーズの一つで、歴代興行収入で世界2位を記録。
■製作総指揮:ジョージ・ルーカス、J・J・エイブラムス、ジェイソン・マクガトリンほか
■出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、ジェイク・ロイド、ヘイデン・クリステンセン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、デイジー・リドリー、アダム・ドライバーほか
■配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
1977~2019年/アメリカ