【3・11特集】それぞれの10年 『裁かれなかった原発神話』 かき消された不安の声 松谷彰夫

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 2011年3月11日、岩手から茨城を震源とするマグニチュード9の巨大地震が発生した。この影響で福島第一原発は、全電源を喪失、炉心融解から水素爆発を起こし、原子炉建屋が吹き飛ぶ大事故が発生した。地震大国日本。しかも海に囲まれたこの国で原発を建設した当時、地震・津波による万一の放射能事故を予見してはいなかったのだろうか。

 東日本大震災から10年という節目に出版された『裁かれなかった原発神話』(かもがわ出版)には、今から約50年前、原子炉の設置許可をめぐって国や大企業と闘った地元住民の記録が克明に記されている。当時、新任の高校教諭として戦列に加わった著者の松谷彰夫氏(日本キリスト教会福島伝道所会員)に話を聞いた。(ライター 黒岩さおり)

松谷彰夫(元高校教諭、福島生業訴訟原告)

「原子力発電所が福島県に建設されることになった時から、その安全性については懐疑的だった人々がいた。地元の人々は、多少の不安は抱いていたものの、国や県、東京電力がその安全性を保障する中で、冬場の出稼ぎに変わる働き口ができたと歓迎し、不安の声もかき消されていった。しかし、東日本大震災の原発事故で、『まさか』が現実のものとなった時、皮肉にも全世界が放射能の恐ろしさを知ることになった」と松谷氏は語る。

原発問題を考える県民の集い(1980年2月、福島県富岡町)

敗訴に屈せず警鐘鳴らし続ける姿
変質した「公聴会」から半世紀

福島県の相馬・双葉地区に東京電力原子力発電所が誘致されたのは1960年代。「原子力明るい未来のエネルギー」の標語に象徴されるように、高度成長期の真っ只中であった日本は、急速に見込まれる電力需要を原発に求める国策に、地元行政、電力業界は、まさに相思相愛の状態で邁進していった。

『裁かれなかった原発神話』は、1968年元旦、「福島民報」に掲載された当時の福島県知事・木村守江、東京電力社長の木川田一隆、東北電力社長の平井寛一郎の鼎談から始まる。木川田社長が「(原発)は、絶対安全ですよ」と豪語し、それに対して木村知事が「全面的に信頼している社長のことだから心配ない。県民が何も文句を言わないのは信頼感の反映だ」と答えている件などは、まさに福島県と東京電力との深い関係性がうかがえる。

福島県民の誰もがこの原発神話を信じ、放射能への不安や懸念がなかったわけではない。幾度となく「本当に大丈夫なのか?」と県や東電にも疑問を投げかけてきたが、そのたびに「放射能漏れなどの心配はありません」「津波対策も万全です」と有名大学出身の東電技術者から説き伏せられ、「そんなものか」と納得する者も多かったという。

しかし、第一原発に続き第二原発の建設が予定されるころになると、地元住民も徐々に反対の声を上げるようになっていた。相手は、自分たちが住んでいる地方自治体である福島県、さらには国、そして巨大企業である東京電力。設置許可取り消しを求め請願を繰り返したが、国と企業が一体となった綿密な根回し、さまざまな権威の前にそれらが認められることはなかった。原発のある楢葉町では「公害から楢葉町を守る町民の会」が結成され、原発建設への不安を払拭するため住民の意見を聞く場を設けてほしいと「公聴会」の開催を国に要求。その署名は町民の半数にも上った。

原発を推進する人々の中にも、繰り返される福島第一原発の事故、運転停止に不安を覚える者もいた。公聴会の傍聴希望者は、地元楢葉町の住人約8千人の数をはるかに上回る1万6千人。反対派住民の多くは、「厳選なる抽選の結果、あなたは落選となりました」との通知を受け、公聴会から締め出される形となってしまった。公聴会当日は、さながら原発推進派の決起集会のように変質してしまった。

その公聴会を契機に1975年、住民は「原子炉設置許可取り消し」を求めた訴訟を起こす。原告は、富岡町や楢葉町などの住民約400人。「息子が東電にお世話になっている」「親戚や周りの声もある」と原告に名を連ねるのを控える住民も多く、「いつからアカの仲間になったんだ!」と攻撃を受けることも少なくなかった。

原告らは署名を集め、裁判のための金策に追われ、放射能に関しての勉強会を重ね、国にも説明を求めてきた。その涙ぐましい努力も、法廷の場で実ることはなかった。少数派であった彼らの主張は、「ただ大げさに騒いでいるだけ」とされてきたのだ。

地裁で9年6カ月、高裁で5年7カ月、最高裁で2年7カ月という歳月を費やし、「原子炉設置取り消し」を求めたが、いずれも住民側の要求が聞かれることなく、1992年、ついに国側の全面勝訴で幕を閉じる。

福島地裁判決の日、原告側の県立高校教諭が、「重い歳月」という詩を読んでいる。それは、まるで約30年後に起こるあの事故を予言していたかのような詩であった。「<真実>はいつも少数派だった 今の私たちのように しかし原発はいつの日か 必ず人間に牙をむく この怪獣を 曇りない視線で監視するのが私たちだ ……私たちがそれを怠れば いつか孫たちが問うだろう 『あなたたちの世代はなにをしたのですか』と」

原発事故から2年後の2013年3月には、福島県と隣県に居住していた被災者が、国と東電を相手に「福島生業訴訟」を提訴。20年9月には仙台高等裁判所で、福島第一原発事故に関して国と東電の責任を全面的に認め、住民側が勝訴している。かねて「原子炉設置許可取り消し」裁判の原告らが事故の危険性を説いてきたにもかかわらず、事が起こって初めて、国と企業がその責任を認める形となった。「神話」を振りまいてきたメディアの罪も免れないだろう。

松谷氏は自身の信仰との関わりについて、「自分の信仰はどこにあるかを問われていた。信仰者としてどう生きるか、誰の声に聞き従うのかということを常に考えていた」と振り返る。

同書は、次のように結ばれている。「46年、ほぼ半世紀にわたる歳月をかけて、福島の地で原発に異議をとなえ続けた原告住民は、度重なる敗訴にも屈せざる者たちだった。3・11の事態を目の当たりにして居丈高に批判するのではなく、自ら非力をかみしめた弁護士と科学者、原発被害の実態を広く伝えようと再び一歩を踏み出す被災者たちがいたことを、私は胸底に刻んでおく」

まつたに・あきお 1947年福島県生まれ。高校3年で受洗。東北大学文学部卒業、同大学院文学研究科修了。福島県内各地の県立高校(倫理、世界史)に勤務。退職後は、県立学校退職教職員の会、同9条の会に加わる。

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