教皇フランシスコは、5月に記念する「第55回世界広報の日」に先立ち、メッセージを発表した。公設バチカン・ニュースが1月23日報じた。カトリック教会の「世界広報の日」は、日本では、復活節第6主日に記念される(今年は5月9日)。
今年のテーマは、「『来て、見なさい』(ヨハネ1・46)人々との出会いを通し、ありのままを伝える」(仮訳)。教皇はメッセージで、既存の情報に甘んじたり、机上の情報収集のみに陥ることなく、自ら行動し、出かけ、出会い、見聞きし、現実から感じ取ると共に、福音の告知の歴史のように、人と人、心と心の出会いを大切にした広報・報道のあり方を提示している。
特に今日、コピーされた情報や、あらゆるメディアで流れる同一情報、前もって準備された情報(いわゆる「こたつ記事」)が、取材やルポルタージュなど「靴をすり減らして得た情報」の占めるべき場を奪っていることに懸念を示した。
ヨハネ福音書で、イエスの弟子となったフィリポは、ナタナエルと出会う。ナザレの人、イエスとの出会いを語るフィリポに、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言うと、フィリポは「来て、見なさい」と言った(参照=ヨハネ1・45~46)。ナタナエルはイエスに会いに行き、その時、彼の人生は変わった、と教皇は記し、キリスト教信仰は、このような直接の出会い、経験から生まれていった、と述べている。
教皇は、世界がパンデミックに覆われたこの時、地球の各地の多くの現実が「来て、見なさい」とコミュニケーションに携わる人々を招いている、と強調した。パンデミックをはじめ他の危機を語る時、豊かな世界の視点だけから語ることなく、貧しい人々の現実や、また恵まれた社会の中の隠された貧困にも目を向けることを教皇は願った。
また、教皇は、インターネット上の様々なソーシャルメディアが、物事を伝え、分かち合う能力を広げる一方で、事実確認のない情報流布の危険をも指摘した。
2000年以上にわたり、キリスト教の魅力は人々との出会いの中で連綿と語り継がれてきた、と述べた教皇は、人々との出会いを通し、そこで見たままを伝えていくことが、私たちのこれからの挑戦となるだろう、と記した。