7月4日の大規模水害から3カ月を迎えた熊本県人吉市=写真右(水害前まで商店街だった人吉市の中心部。3カ月経った今も傷跡が残る)。昨年10月、人吉ハリストス正教会(人吉市願成寺町)に赴任した司祭の水野宏さんは、都内在住の母親や成人した4人の子どもと離れて暮らし始めた9カ月後に水害に遭遇。慣れ親しんだ街が根こそぎ破壊される光景を目の当たりにし、「自分がここへ来たことに意味があったのか」と、しばらく猛烈な虚無感に襲われたという。しかし、地域の人々と復興支援を共通項につながりが増え、自らできることをしているうちに、再び赴任当初の「ゼロからのスタートという高揚感」を取り戻した。自身のブログ「九州の正教会」(https://frgregory.hatenablog.com/)から被災地の現状を紹介する。
〝教会の敷地がお役に立てた〟
水野宏司祭 赴任直後の被災は「神の計画」
地元紙の報道によると、人吉市の避難者は人口の約1割にあたる3400人。しかし、この避難者の定義は避難所や仮設住宅などで自宅を離れて生活している人のことで、損壊した自宅に留まっている在宅避難者は含まれていない。おおむね家の1階部分が損壊し、2階で寝起きしている事例が最も多いが、風呂場や台所などは1階が多く、冷蔵庫や洗濯機などの家電製品は壊れてしまっているので、生活環境の厳しさは想像に難くない。
人吉の水害発生直後、ボランティア活動の中心は瓦礫の撤去や泥かきなど、力仕事が中心だった。支援物資の需要もトイレットペーパーやミネラルウォーターなど、消耗品が求められていたが、8月に入り「緊急事態」がひと段落すると、電化製品や衣類などの一般的な家財に人々の需要が集中し始めた。床上浸水した家では、電気製品がすべて故障。今は仮設住宅が建てられ、避難生活者は体育館などの避難所から移っているものの、仮設住宅には家具も家財もなく、自前で確保しなければならない。
人吉市は商店や飲食店が集中する中心部が重点的に被害を受け、市内の全1900事業者のうち、約半数の900事業者が被災。業種も被害額もさまざまで、再建には最低でも数千万円、機械類が壊れて新調する業種なら億単位の費用がかかる見込みだ。さらに人口3万人の人吉市では、それだけの費用をかけて商売を再開しても、回収できるだけの売り上げが見込めるか定かではない。
「人吉は『九州の小京都』と呼ばれる歴史のある街で、老舗の業者は江戸時代から明治時代の創業なのですが、そういう先祖代々守ってきた暖簾を放棄せざるを得ないというのは悲劇的なことであり、話を聞いている側も悲しい気持ちにさせられます」と水野さん。
水害は折からのコロナ禍対応で奔走する教会にも、大きな影響を及ぼした。日本ハリストス正教会教団は、政府の感染防止のガイドラインが発表された2月当初から、各管轄司祭単位で教会の状況に応じた感染防止対策を取るよう指示。各教会はそれに従い「聖堂内の換気」「聖堂内でのマスク着用」「入堂時の手の消毒」、さらに感染拡大した時は「祈祷の非公開」など、必要な対策を講じてきた。人吉市では水害で聖堂への直接的な被害は生じなかったが、地域社会における教会のあり方が問われることとなった。
妻のみさ子さんは、市民ボランティアグループを手伝い、全国各地から寄付された衣類などの物資を無償で配布する活動に携わる中で、就学前の小さな子をもつ母親の「たまり場」的な集会所を探していると耳にする。子どもを安全な環境で遊ばせつつ、同世代の親同士でコミュニケーションができる場所がほしいという。これまでは地域の集会所がそのような役割を担っていたが、水害で被災したり、物資置き場に転用されたりして、多くの地区で閉館になっている。
教会は平日閉めているので、関係者を案内し、集会室を見てもらったところ、「すばらしい環境なのでぜひ使わせてほしい」との反応。1日100円を入館料代わりに献金してもらうことで提供することにした。
また、600坪近い敷地も道路に面しておらず不便だったが、「こんなに広くて、しかも車が来ない安全な原っぱは小さな子どもを遊ばせるのに最適」と喜ばれた。水野さんも「ただただ草刈りがたいへんな、無駄に広い教会の敷地が、初めて人のお役に立てた」と驚きを隠せない。
教会が呼び掛け、9月末で募集を締め切った豪雨災害支援金には、教会外を含め全国から約290万円が寄せられた。
「私たち夫婦にとって、確かに水害は直接被災しないまでもたいへんな経験ではありましたが、その代わりまったく付き合いのなかった人々とつながる機会がたくさん与えられたように感じています。人吉への転勤は偶然でも、まして左遷でもなく、神が計画して私を遣わしたに違いないと、今は確信しています。地域の完全復興までこの先何年かかるか分かりませんが、それを見届けるまで、人吉で神に与えられた務めを果たしたいと思います」