もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。
ヨハネの黙示録21章4節(参照箇所同書21:1〜8)
一年が過ぎようとしています。長い一年であったと思う人、あまりにも短い日々であったと感じる人、さまざまな思いが心をよぎることでしょう。聖書は、時の流れの終わりを「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」という言葉で締めくくります。
わたしたちの人生には、最後に死が待ち受けています。肉を持って生きている時は、死の影がいたるところに差し込んでいます。しかも死は、これでよしとする答えをもたらしてはくれません。物事の推移に伴うあいまいさと不確実さ、そして未解決の問題は、人生に付き物です。それらによしとする答えを持ち得ないまま終わりの幕を閉じる、それをどのように取り繕っても、肉の存在の現実から取り去ることはできません。
けれども聖書は、死が終わりを告げる、向う側からやっておいでになるキリストを指し示します。このキリストは死が残した問いのすべてを引受けてくださるお方です。その方に委ねることを知る者は、死が残す問いを恐れません。「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」世界をキリストに見るからです。新しい世界が、そこから再び始まります。