いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです
テサロニケの信徒への手紙一5章16〜18節(参照箇所同書5:16〜22)
ある人が申しました。「わたしは、信仰を持っている人間がくよくよするのはおかしい、信仰を持てば感謝と喜びに満たされるはずだ、と言われても、今のわたしの生活ではとてもそんな気持ちにはなれません。感謝と喜びなどよいう言葉は白々しい。」現実の生活の中でどうにもならぬ状況を抱えて生きねばならぬ人の切実な訴えでした。
パウロは、この勧めを単なる戒めとして教えてはいないことに気付く必要がありましょう。彼は、この言葉を、「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と結んでいます。喜びと感謝は神が望まれることであって、けっして嘆きと悲しみを望まれることはないとの彼の信仰の表明がここにあります。しかも神が望まれる感謝と喜びは、「イエス・キリストにおいて」と前提を持っています。そこにはキリストの苦しみと十字架の死があります。感謝と喜びにはほど遠い生活がある、そのときには、そのキリストがおいでになるときでもあります。喜びと感謝のためにはキリストの苦しみと死がある、それを知るようにとのパウロの戒めというより、慰めがここにあります。