人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、・・・・。
ガラテヤの信徒への手紙1章1節(参照箇所同書1:1〜5節)
パウロには直接イエスから選ばれた使徒ではないとの批判が付きまとっていたようです。それに答えて、パウロは、彼が使徒として召しは、人からではない、キリストと父である神からの直接の召しによると主張したのです。神の働きに召されるということは、あなたは伝道者に向いているからとか、わたしは伝道者になりたいからという人間の要請だけで伝道者の道を選んだのではないとパウロは言いたいのです。伝道者への召しは、人間的な要請からでなく神からの召しという宣言とでもいうべきものがあるというわけです。
この宣言は、伝道者だけのものではありません。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」の「使徒」を「信仰者」に、「パウロ」のところに「わたし」と置き換えてみるとよく分かるはずです。わたしが信仰者にされたのは、「人々からでもなく、人を通してでもなく」ではありませんか。信仰の世界には、「人からでなく神から」という、宣言とでもいうべきものがかならず付いて回るものです。そしてこの宣言がないなら、ほんものの信仰ではありません。