わたしたちは、四方から苦しめられても生き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。
コリントの信徒への手紙二4章8節(参照箇所同書4章7〜15)
この言葉をパウロは、強い信仰の誇示とは考えませんでした。彼は、この言葉の前に「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(7節)と付け加えています。「この並外れて偉大な力」とは、不思議にも使徒とされ、「土の器」でしかない者が福音を宣べ伝えている驚きとでもいうべき表現です。それはパウロという人間の力によるのではない、神のものとされているからである、その証拠に「四方から苦しめられても生き詰まらず、途方に暮れても失望せず、・・・」といったことがわが身に起っているからだというのです。
信仰を持っている者は、なにがあろうと挫けない、七転び八起きの人生を送ることができるといった、将来の安心保証と少しちがうのです。あれほどの困難な事があったのに、気が付けば乗り越えている自分がいるではないか、とあらためて自分をふり返っているのです。
それはなぜか、「いつもイエスの死を体にまとい、イエスの命がこの体に現れるため」なのです。キリストの死と命がパウロの体によって現れるために、「虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」のです。これこそほんものの信仰者の強さです。