それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
コリントの信徒への手紙一12章22節(参照箇所同書12章12〜26)
今日の競争社会の中では人間を強者と弱者に分けることを当然としてきました。とはいっても強者だけが生き残ることは許されず、弱者を支援する仕組みも一応の手立ては考えられてきました。支援、援助、保護という言葉での社会的仕組みが定着するようになってきました。
パウロは、この世での人間扱いに対して、教会では人はどう扱われるべきかを示しています。彼は体のすべての部分が、それぞれなくてならぬ部分であって、それらが一つの体を作るように、人はだれであれ、なくてならぬ存在だと言うのです(20節)。彼の主張には、助ける、助けられるという関係がありません。すべての人は、それぞれに必要な関係があると言っているのです。単なる平等というのでない、この教会の論理は、社会に対する新しいチャレンジともいうべきものがあります。
さらに彼は、「それどころか、体(教会)の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」と言うのです。弱さがないといけないのです。弱さが積極的に肯定される世界、これも教会の論理がもつ新たな視点です。
こうした視点に立って、人間を眺めるとき、新たな自己発見、他者理解をするのではないでしょうか。