食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。
ローマの信徒への手紙14章6節(参照箇所同書14章1〜12節)
人間的な判断を教会の中に持ち込むと「これは信仰的である、あれは信仰的でない」と右と左に分けてしまうか、「これも信仰的、あれも信仰的である」と妥協してしまうかになると言われます。わたしたちの信仰生活にも、そのような判断が教会に持ち込まれて、混乱をしたり、分裂を招いたりしていることがあります。
パウロの時代、教会の中に肉を食べる人もいれば肉は食べないとする人もいたようです。伝統的な慣習に基づいて日の吉凶を選ぶ人もいました。それらの問題についてパウロは牧会者として判断を下しているのです。彼は自分の判断に基づいて、これはだめ、それはよろしいなどとは言いませんでした。彼は、常にキリストを中心に考えたのでした。「食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も主のために食べない。そして、神に感謝しているのです」とは、キリスト中心の考え方を反映しています。
神事仏事に関すること、聖日と社会的行事の関係、とくに冠婚葬祭については伝統的慣習と信仰的判断の板挟みになることが多いものです。このようなとき、パウロの判断は、何が判断の基準であるかを教えてくれるでしょう。