わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても主こそわが光。
ミカ書7章8節(参考箇所同書7章8〜20節)
神は、罪の現実をそのままにして置かれる方ではありません。「悲しいかな」(1節)と神は嘆きつつ、人々の罪の現実をあますことなく暴かれるのです。それによって人は自らの現実をいやというほど見せつけられます。「皆、ひそかに人の命をねらい、互いに網で捕らえようとする。彼らの手は悪事にたけ、役人も裁判官も報酬を目当てとし、名士も私欲をもって語る。しかも彼らはそれを包み隠す。彼らの中の最善の者も茨のようであり、正しい者も茨の垣に劣る。」(2節以下)とは、わたしたちの世界にも十分当てはまる罪の現実です。
その中にあって、「わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ」(7節)のです。敵はこのような現実の状態を見て、してやったりとほくそ笑んでいるかもしれないのです。しかしミカは言います。「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな」と。
信仰にある者は、したたかであります。救われそうにもないところに生きており、このまま滅んでしまいそうに見えるかもしれません。にもかかわらず「たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても主こそわが光」と信仰にある己を告白することができるのです。