一体、どこの国が神々を取り替えたことがあろうか、しかも神でないものと。ところがわが民はおのが栄光を助けにもならぬものと取り替えた。
エレミヤ書2章11節(参考箇所同書2章1〜37節)
エレミヤが預言者として活躍した時代は(前626〜586年)、ユダ王国滅亡の時でした。彼は敵国バビロニアに屈服することが平和の道であると説いたため、バビロニア捕囚の憂き目は見ずに済みましたが、自国民には抵抗主義者に憎まれエジプトで殺された悲劇の人ですが、深い洞察性をもった預言者として多くの人に感銘を与えてきました。
この個所はアッシリアの影響を受けたユダの人たちが先祖から受け継いだ信仰を捨てバアル信仰に走り、目先の繁栄を求めたことへの叱責の言葉です。エレミヤは神の言葉を伝えて「一体、どこの国が神々を取り替えたことがあろうか」と言い、目先の都合で神を取り替えるなどとんでもないと民を非難しているのです。
人はときとして自分の都合に合わせて信仰遍歴をすることがあるものです。都合次第で信仰の落ち着き所を探すなら、せっかくの栄光を「助けにもならぬものと取り替えた」ことになります。
エレミヤは「天よ、驚け、このことを、大いに震えおののけと主は言われる」(12節)と言います。自分では大したことではないと思っていても、神の側では大いに不都合になっていることに気付きなさいと言っているのです。