恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書43章1節(参考箇所同書43章1〜7節)
神がイスラエルを愛しておいでになるほどには、彼らはその愛に応じる信仰をもっていないことは、イザヤのよく知るところでした。「彼らは主の道に歩もうとせず、その教えに聞き従おうとしなかった」(42章24節)とあるように、この民はまことに不信の民でしかありませんでした。
その民に主は「恐れるな、わたしはあなたを贖う」と言われます。「贖う」とは、身代金を支払って買い取ることです。イザヤ書によれば、エジプト、クシュ(エチオピア)、セパ(エチオピアの南)をもって身代金とするとあります(3節)。不信の民を神は「価高く、貴い」(4節)とみなされたからです。
蒙昧(もうまい)の民になにひとつ条件を付けることなく贖(あがな)い、救いを成し遂げてくださる、これが聖書の救いの手立てです。どう見ても救われるに価しない者が救われるためには、神の一方的な救いの手立て以外に方法はないのです。これを福音と言わずして何というでしょうか。イザヤのいう贖いは、パウロが「あなたがたは代価を払って買い取られたのです」(コリント一、6章20節)と言うように、キリストの死という代価を支払って救われることで完成するのです。