主は高い所に住まう者を引きおろし、築き上げられた都を打ち倒して、塵に伏させる。貧しい者の足がそれを踏みにじり、弱い者の足が踏みつけて行く。
イザヤ書26章5〜6節(参考箇所同書26章1〜6節)
イザヤを支えるものは、貧しい者、弱い者が最後には勝利を得るという信仰でした。彼が南王国ユダの預言者として活動した背景には、アッシリア、エジプトという大国の力関係の中で右往左往する、それこそ動乱の時代であり、民心も定まらず不安定な社会情勢が渦巻いていました。
そのような状況の中では、力による支配こそが決め手とだれでも思うのです。しかし力が頂点に立つとき、必ずやバベルの塔の轍(てつ)を踏むことをイザヤは忘れていませんでした。「主は高い所に住まう者を引きおろし、築き上げられた都を打ち倒して、塵に伏させる」とはまさしくそのことであります。
そのためには弱い者、貧しい者が前面に出なければならないのです。彼らには人の力はありません。だからこそ神の力のみが働きます。神の力が働くためには豊かであってはならないのです。強くある必要もありません。
けれども、貧しさと弱さを用いる神の力は、この世の豊かさと強さを作る人の力に優ることを、イザヤは「貧しい者の足がそれを踏みにじり、弱い者の足が踏みつけて行く」と言っているのです。このような逆説こそが福音の神髄であるといわねばなりません。