見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
詩編133編1節(参考箇所詩編133編1〜3節)
大祭司を中心に礼拝をしている人々の姿は、なんという喜びと恵みに満ちていることかと作者は歌います。今日的に言えば、教会という信仰共同体に人々が集っていることがどれほど素晴らしいかを表わす歌であります。
教会という共同体は、今の時代の中では大変珍しい集団といわねばなりません。年齢性別に関係なく、だれであろうと所属することができます。それこそ雑多な人の集まりが教会の姿です。一般社会の中の集団はこれほど雑多な人を見受ける集まりは希と言わねばならないでしょう。
だれでもが自分の姿をそのままにして、いることができる集団といえば家族を思い出します。教会は、社会の中での見知らぬ者同志が家族としていることができる集団です。老若男女が一堂に会し、共に同じ方向を向き、それそれの姿にふさわしいことを考えたり、行動することができます。しかも揺籃から結婚、葬儀に至るまで一生を預けています。よくよく教会をこのように考えてみると、この時代、この社会にあって、まことに貴重な存在と言わねばならないでしょう。
そう考えるとき、教会に人々が集まっていること、それ自体が喜びであり恵みであるとすべきです。