5月12日 民数記21章9節

 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。
民数記21章9節(参考箇所同書21章4〜9節)

荒れ野で炎の蛇に噛まれて死ぬという災いを避けるため、モーセは炎の蛇のかたちを青銅で造り、それを旗竿の先に掲げたのでした。炎の蛇とは、実はイスラエルの民が荒れ野の旅の辛さに不平を洩らしたことへの罰として神が送られたのでした。蛇は民の罪の象徴であったのです。その罪のしるしとしての青銅の蛇を仰ぎ見ると蛇がかんでも癒(いや)され、命を得たのです。

イエスは十字架上の御自身を青銅の蛇にたとえられ、「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(ヨハネ福音書3章14〜15節)と言われます。蛇が罪の象徴であったように、イエスもまた罪人として上げられることを意味されたのです。

わたしたちが十字架を見上げるときは、わたしたちは、罪の象徴として旗竿の先に掲げた蛇であるキリストを見ることになります。そのときわたしたちは、荒れ野で蛇を見上げた者が救われまたように、自ら蛇となって死んでくださった、救い主を見上げて救われるのです。教会に十字架のしるしが置かれているのは、わたしたちが救われるためには何を見なければならないかを教えるものです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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