しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
使徒言行録2章24節(参考箇所同書2章14〜41節)
聖霊降臨日のペトロの説教の一部です。主イエスの死後、意気消沈していた弟子たちが息を吹き返したように勇躍(ゆうやく)宣教に乗り出しました。彼らの第一声は主が復活されたということでした。主は生きておられるという確信は、旧約の昔から預言されていた通り、イエスは神の子メシアであるとの信仰を得るに至りました。
死人からの復活という出来事が信じ難いのは、なにも現代のわたしたちだけではありません。使徒パウロの説教を聞いた人の中には、あざ笑ったり、いずれまた聞かせてもらうことにすると言う者もいたと使徒言行録は告げます(17章32節)。
しかし、主の復活の使信を聞いて信じた人たちは、強い確信をもって教会を形成したのでした。そして今日に至るまで連綿と歴史をつないで、復活信仰を継承してきました。もし主の復活の使信がペトロたちを通して宣べ伝えられることがなければ、キリスト教会は存在することはなかったことでしょう。
そもそも日曜日を主の日として、礼拝を守る習慣をつくったのも主が日曜日に復活されたことによります。わざわざ一週の最初の日を休むという画期的な変更は、主の復活なしには起り得ないことです。