わたしの父の家を商売の家としてはならない。
ヨハネ2章16節(参考箇所同書2章13〜22節)
エルサレムの神殿で犠牲に捧げる動物を売る者、両替をする者を鞭打ち、台をひっくり返して追い出されたことがありました。動物犠牲は定めれた神殿儀式であり、献げる貨幣はユダヤ貨幣に決められていて、外国貨幣は禁じられていました。これに便乗して利をむさぼる商売が成り立っていたのです。
激しいほどの行為によってイエスが求められたのは、神殿とは何かということです。イエスが「父の家を商売の家とするな」と言われ、ヨハネが「イエスの言われる神殿とは御自分の体のことだったのである」(21節)と解説を加えています。ここからうかがえることは、イエスは御自身の体としての神殿、つまり教会の本来のありかたを損ねるようなことがあってはならないと言われているのです。
わたしたちは、しばしば教会の外面に表れた見かけの美しさや、粗末さ、教会に集まってくる人々が大勢である、あるいは少ない、ときには人々が醸し出す雰囲気などに囚われがちです。あらためて、宮きよめの出来事が、教会はキリストの体であるとの認識を土台としていることを知るなら、キリストは教会から何を排除しようとされるのかを見極めねばならないでしょう。