はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
ルカ18章17節(参考箇所同書18章15〜17節)
行きつ戻りつ、何度か教会の門を通り過ぎては、入ろうかどうしようかと思い惑ったあげく、やっと意を決して門をくぐった方が「もうなにもかもお任せという気持ちで参りました」と言われたことがあります。教会は地上における神の国のしるしといわれるのですから、それこそ神の国に入るときの気持ちが如実に表れた言葉のように聞こえました。
イエスは「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われます。子どもは、委ねることを知っている存在です。母親の胸に抱かれてスヤスヤ眠る赤ん坊は、母親が居眠りをして落っことすかもしれないなどと夢にも思わないでしょう。一瞬でもその思いが心をよぎれば、安心して眠ることはできなくなります。なにが起ころうといっさいを委ねていればこそ、母親の胸は生き死にを預けた安心の世界です。
神の国に入るとは、信仰の世界に生き死にを預けることです。そのためには、とつおいつ考えたあげくであっても、結局は委ねる決断がなくてはなりません。子どもは、それができる存在です。「子どものように」とは、その姿に学びなさいということでしょう。