敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
マタイ5章44節(参照箇所同書5章43-48節)
成熟した人は、愛することができると言われます。愛することができる人は温かい人間関係をつくることができる人でもあります。
愛するとき、愛する側の動機づけで愛し始めます。しかし愛は相手あってのこと、愛した結果は、かならずしも願ったように終わらないのが愛には付きものです。愛は自分の手の内から始まっても、愛した結果は自分の手の内から離れます。
ときには、裏切られたり、そ知らぬ顔をされたり、冷たい仕打ちが返ってくることもありましょう。愛した結果、思いがけなく傷つくこともあります。それを恐れては愛することはできません。
「敵を愛する」、「迫害する者のために祈る」ためには、傷つくことを恐れずに結果を受容する懐の深い態度が必要です。それは我慢するとはちがいます。受け入れる態度です。「愛には恐れがない」(ヨハネの手紙一、4章18節)と聖書にあります。神は敵であった、このわたしを愛してくださったことがその前提にあるからです。