あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 マタイ10章40節(参考聖書箇所同書10章40〜42節)
このイエスの言葉を聞いた弟子たちは、イエスに従ってはいるけれども、おそらく信仰の不十分さをまだまだ内に抱え込んでいたはずです。にもかかわらず、そのような弟子たちを受け入れる者は、イエスを受け入れるのであり、イエスを受け入れることは、父なる神を受け入れるのであると言われているのです。 このイエスの言葉には、伝道の働きに召し出された者の心に明快に届くものがあります。ふり返って自分の信仰を見れば、まだまだとか、これでは、と言いたくなることばかりです。にもかかわらず、周囲を見回せば、わたしを信仰者として受け入れてくれる人がいる、ならば、その人はイエスを受け入れたのであり、神を受け入れたのである、とイエスご自身から保証されているということであります。ある人の言葉に「きょうだいの中のキリストは、わたしの中のキリストよりも大きい」とありますが、相手から見れば、この貧しいわたしの信仰の中に、大きなキリストを見るという不思議が起っていることになります。これこそわたしの思いを越えたキリストのわざと言わずしてなんということができるでしょうか。