NHKは9日、2021年に放送される大河ドラマ「青天を衝(つ)け」で、主人公の渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)を吉沢亮さん(25)が演じ、脚本は大森美香さんが担当すると発表した。2024年から発行される新1万円札の顔としても注目される渋沢とはどのような人物で、キリスト教とどんな関係があるのだろうか。
「日本資本主義の父」と呼ばれ、500社以上の会社を興した渋沢は1840年、現在の埼玉県深谷市に生まれた。農家の長男だったが、20代で江戸幕府最後の将軍となる一橋慶喜(徳川慶喜)に仕えるようになり、幕臣となる。明治維新後は大蔵省に入り、その後、第一国立銀行(現・みずほ銀行)の頭取となるほか、多くの地方銀行の設立を指導し、東京瓦斯(ガス)、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)、王子製紙(現・王子製紙、日本製紙)、田園都市(現・東京急行電鉄)、秩父セメント(現・太平洋セメント)、帝国ホテル、東京証券取引所、麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)、東洋紡績(現・東洋紡)など、多くの会社設立に関わり、1931(昭和6)年に91歳で亡くなった。
カトリックのヴィリオン宣教師が開いたフランス語塾の塾生になったことでキリスト教の影響を受け、1888年、新島襄が同志社設立を進めた時には積極的に支援したほか、キリスト教系教育機関の発展に寄与した。また1907年、第7回万国学生基督教青年会大会の参列者歓迎会に出席したり、20年、第8回世界日曜学校大会が開催された際には後援会副会長として支援したりするなど、多くのキリスト教事業を助けた。東京基督教青年会館が関東大震災で被災した時には、同会館復興建築資金募集後援会の相談役となっている(渋沢栄一記念財団のホームページ)。また、民間のみで行っていた米国への移民を、同志社で教えたD・C・グリーンと共に物心両面から援助。日本女子大学創立者の成瀬仁蔵を中心に、12年、宗教者同士の相互理解と協力を推進する組織「帰一協会」を組織。14年、日本組合基督教会の朝鮮伝道支援のため、財界に募金を呼びかけたりした。
渋沢とキリスト教の関わりでは、特に救世軍の山室軍平との関係が特筆に値する。
1907年、救世軍のウィリアム・ブース大将が来日した際には歓迎会発起人となり、この時から渋沢は日本の救世軍への援助を始め、それは世界中の救世軍でも広く知られていたという。
私が救世軍を援助する様になったのは、救世軍そのものよりも山室軍平氏との知合ひからである。山室は20年も前から知って居り……、ブース大将との交際は皆山室からの関係であります。(1925年の渋沢の談話。『渋沢栄一伝記資料』別巻第5講演談話1、渋沢青淵記念財団竜門社)
城山三郎『雄気堂々』には、渋沢が救世軍を支援することについて、次のように描かれている。
(渋沢は)クリチャンでもないのに、発足まもない救世軍を熱心に応援したが、それというのも、救世軍が貧弱な財政的基盤にかかわらず、それを真剣に活(い)かして運動しているのを見て、ひき立ててやらねばと考えたからであった。
栄一は、山室軍平にいった。
「実業家は金を作ることを知っているばかりか、どんな風に使うたらよいかということをわきまえている。それだから、自分らよりもあまり下手に金を使うと見ると、出したくなくなる。しかしあなたのところでは、比較的わずかな金で大きな事業をなし、金が活きて働いているように見えるから、それでわたしは熱心に賛助しているのです」
あるいは、救世軍を応援する手紙の中に、
「其の費途僅少(きんしょう)にして、能(よ)く優秀の成績を見る。是(こ)れ本軍の一特長所にして、而(しか)して其(その)世間を裨補(ひほ)するの功、亦(また)大なりといふを得べし」などと書いた。慈善においても効率を尊重し、実の上ることを第一とした。(上巻、236~237頁、新潮文庫)
渋沢は1931年11月に亡くなるが、その直前の7月、山室は渋沢夫人の依頼で、渋沢に3回、聖書講義を行っている。
詩ノ第二十三篇ヲ読ミテ色々話ス。大ニ喜バル。……『孔子教ハ人道ヲ示スモノニテ宗教トシテハ矢張(やはり)キリスト教ヲ尊敬シテ居(い)マス』ト云フヨウナ話モアリキ。(山室の日記7月9日)
また、7月23日には「放蕩息子のたとえ」(ルカ15章)、30日には「土の器に納めた宝」(2コリント4章)を講じたという(谷田雄一「山室軍平の渋沢栄一に対する聖書講義」)。