【書評】 『キリスト教:本質と歴史』 ハンス・キュンク 著/福田誠二 訳

キュンクはスイスに生まれたカトリック神学者で、存命する中では世界で最も影響力を持つ「戦う神学者」として知られる。1928年、スイスのカトリック家庭に生まれたキュンクは、若くして召命を感じ、イエズス会が運営するローマのグレゴリアン大学に入学、哲学と神学を学んだ。カトリックの牙城とも言うべきグレゴリアン大学でキュンクが研究対象としたのは、同じくスイスの同郷人でもあるプロテスタント神学者カール・バルトだった。当時のカトリック教会では、プロテスタント教会から何かを学び得るという考え方ほど憤慨させるものはなかったため、キュンクには監視の目が注がれるようになった。

1960年、キュンクは31歳の若さでドイツのテュービンゲン大学カトリック神学部の基礎神学教授に招聘され、62年から始まった第二バチカン公会議では公会議顧問神学者に任命された。史上最大規模の公会議となった第二バチカン公会議は、二度の世界大戦を踏まえ、共産主義、エキュメニズム、キリスト教再合同等の重要な課題を克服するために、カトリック教会を刷新し、現代化することを目的としていた。キュンクは会議に参加し、積極的に役割を担うのと同時に、精力的に執筆活動を行い、自身の神学的探究を深め、広めた。

第二バチカン公会議後の1970年代、日本のカトリック神学校でもキュンクの本はよく読まれていた。若い神学生にとってエキュメニズム思想がいかに強烈な訴求力を持っていたかがうかがえる。キュンクの博士論文であり、代表的著作の一つとなった『義認論 カール・バルトの教説とカトリック的熟慮』は、1999年の「ルター教会との義認に関する共同宣言」成立に寄与した。現在、日本でも年一度カトリック・ルーテル・聖公会3教会合同での礼拝が行われているが、神学的に「義認」とは神への無条件の信頼であると再確認したキュンクの功績は大きい。

ところが、キュンクに試練が訪れる。教皇無謬(むびゅう)説を批判した著作『ゆるぎなき権威?――無謬性を問う』がバチカンの保守派に批判され、1979年、カトリック神学者としてカトリック神学部で教える「聖職任命」を取り消されたのだ。キュンクは「私にとって人生における最も深い落胆を与える経験であった」と記している。

Muesse – 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6078647による

キュンクはカトリック神学部から去らなければならなかったが、テュービンゲン大学側が彼のために新たに大学内に「エキュメニズム研究所」を創立して、彼を初代所長に任命した。通常、カトリック教会当局から「聖職任命」処置を受ければ、学者としてのキャリアは終了するが、キュンクの場合は反対の結果を招いた。彼の講義を聴講する学生は倍増し、神学者キュンクが新生するきっかけとなったのだ。

早い時期からキリスト教以外の諸宗教に関心を持ち、諸聖典についても研究を重ねてきたキュンクだったが、1980年代からは他宗教との対話に取り組んだ。教授職退官後も他宗教から学ぶことを中断せず、研究の集大成として『ユダヤ教』『キリスト教:本質と歴史』『イスラム教:本質と歴史』を上梓した。いずれも1千ページを超える大著であり、彼の「三部作」と称されるが、これまで日本語には訳されていなかった。

「三部作」の一つである本書が、キュンクの「日本語版への序文」を添えて出版されたことは意義深い。序文において彼は、人類史には三つの宗教的文化水系があり、日本では古代から神道、儒教、仏教が父祖伝来の宗教として存在していることに触れ、人は二つあるいはそれ以上の宗教を同時に信仰することができるのかという問いかけを発している。換言すれば、神道、儒教、仏教が根付いた日本に、さらにキリスト教が根付くようになるのはいかなる場合であるかという問いである。いわば「宗教的二重国籍」が存在し得るのか否か、許されるのか否かという問題は、日本人がもっと神学的に考察すべきことだろう。

本書は「本質への問い」「中心的な事柄」「歴史」の三つのパートに分けられており、全体の9割を占める「歴史」では、2千年にわたるキリスト教について批判的かつ歴史的な弁明がなされ、原始キリスト教から中世、宗教改革、近代の神学までが詳説されている。米国の科学史家トーマス・クーンが提唱した「パラダイム理論」を採り入れ、長大な歴史をパラダイムごとに分類・整理することによって、おびただしい情報を把握しやすくしている。

惜しむらくは、本書の原著が1994年に出版されたため、ミレニアム期以降の記述がないことだ。聖職者による虐待問題やLGBT、女性聖職者など、いま考えるべき課題について、彼が何を語るかを聴いてみたいとの欲も湧く。

ラディカルで根源に向かう改革こそが、キリスト教の本質を再び光り輝くものにすると、キュンクは主張する。教会の伝統や祭儀などの「キリスト教的な」レッテルを外して、キリスト教の本質に向かうことが、現代においてもキリスト教徒である勇気を生じさせるものとなると、希望を込めて語る言葉は次世代への委任状だろうか。一寸先も見通せない困難な時代、キリスト教信仰が価値あるものとして光を放つために、我々が何を考え、深め、解いていくべきなのか、本書は開かれた問いを投げかける。

【本体8,800円+税】
【教文館】978-4764274440

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