バウハウスの余韻を感じさせる、邸宅の直線的で瀟洒なデザイン。青空のもと庭の遊具で子どもたちが遊び、かたわらの菜園では旬の野菜が収穫され、妻は家事育児に余念がなく、夫は応接間へ同僚を招き入れ仕事談義に忙しない。古風ながらもすべてに満たされた幸福な一家の光景へ忍び込む、仄かな違和感。たとえばメイドたちのみせる強張った表情。たとえば男たちが鉤十字の軍装に身を包むこと。邸宅と家庭菜園の一方にそびえ立つコンクリート壁の、あまりにも威圧的な存在感と、壁越しに覗く煙突からのぼる灰煙の不穏。そして通奏低音のように流れつづける、謎の重底音。ときおり紛れ込む、離れた場所で誰かが叫ぶような高音。
やがて違和感の根が暴かれる。壁の向こうはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所であり、邸宅に暮らす人々は強制収容所所長ルドルフ=ヘスとその家族であることが示される。21世紀現代の眼にはレトロ風味を帯びつつも、それが80年前の戦時下であることなどおよそ信じがたいほどに豊かで洗練された生活を体現する一家の優雅な日常。しかし壁一枚隔てた収容所内部で起きている事態、その帰結として壁上の中空へのぼり立つ灰煙や、時折スクリーンの外から流れ込む銃声らしき炸裂音と男女の叫び声に、家族らが反応することは一切ない。ジョナサン・グレイザー監督新作『関心領域』“The Zone of Interest”はこうして始まる。
ホロコーストについて考える。なぜか考えてしまう。その衝動は不定期に訪れる。映画で描かれるルドルフ・ヘス一家の無関心性、無自覚性にはやや見覚えがある。今日の消費生活、その流通コスト、電力源、日々の食卓を彩る食材の調達過程において、私たち現代人は同様の無関心性を発揮してはいないだろうか。自らが属すこの社会を成り立たせる構造が、視野の外に置く別の場所で、見知らぬ誰かを傷つけてはいないだろうか、無自覚に。そのことに実は気づきながらも、向き合うことを避けてはないか。
アウシュヴィッツ関連の未読書籍にあたる。関連の新作映画を観る。囚人が残した写真を見る。ドイツ系画家の《ビルケナウ》と題された大作を観る。それらを通して考え、書くという作業への〝疼き〟が数年ごと訪れるようになり、もうどれほどが経つだろう。学生時、絶滅収容所跡を初めて訪れ、衝撃を受けた。ミュンヘン郊外、ダッハウ強制収容所跡地。かつて収容棟が並んだ敷地の大半は裸の土地に馴らされており、ただただ寒々しい。数年後、ベルリンのユダヤ博物館へ訪れる。ガス室での虐殺に前後して没収された髪や金歯に始まる展示はグロテスクで、ダニエル・リベスキンドによる建築は壁も階段も傾き歪みたわんでおり、その中を彷徨い歩く見学者の生理的な不安を煽る。が、ふしぎとダッハウで感得した心境の凍てつき、底なしの昏さには及ばなかった。それ以来ずっと引きずっている。考えなければいけないのだろうと思っている。あの寒々しさ、おぞましさ。自分が好んでしまうもの? まさか。その問いや対象は、この肉体にどのような影響を及ぼし、何を触発し、何を変えたのか。
『関心領域』は、〝音〟から始まる。明示的に演じられ、語られる物語とは無関係に、音は最後まで響き続ける。いま目に見えているもの、意識に理解されることの外側で、しかしこのからだのすぐそばで進行する真実の象徴として、それは聴覚を襲いつづける。ルドルフの妻ヘートヴィヒの老母は娘の元を訪れ「良い暮らしを手に入れたね」と喜ぶが、ある夜底知れない不安に襲われ、明けがた無言で家を去る。愛する娘が自慢する庭園に撒かれる灰はいったい何だろう。娘がもつ毛皮のコートや、邸宅内を飾る奢侈品の数々はどこから来たのだろう。老母はそのようにして“音”を聴きとる。娘に残された置き書きが、映画内で読まれることはない。
そういえば本作の監督ジョナサン・グレイザーが世界的に知られるきっかけとなったのは、映画ではなくミュージック・ヴィデオを通じてであった。英国出身の歌手ジェイ・ケイ率いるジャミロクワイ/Jamiroquai作曲の“Virtual Insanity”PVは1996年制作、観る者の錯覚をいざない身体性へ直に働きかけるその演出が孕む革新性は、映像表現領域に〝前CG全盛期〟最後の煌めきを放ち、日本でもその後多くの作り手が本作の影響下で映像表現を更新し続けた。
『関心領域』冒頭部における邸宅シーンは、一家の家長であるルドルフ・ヘスの誕生日から始まる。妻から木製のカヤックをプレゼントされるルドルフはナチスの軍装に身を包み、目隠しをされて玄関を出て庭へ降りる。子どもに連行されるその姿はいかにも囚人のようで、序盤の演出としてはあざとさすら感じさせるが、物語が進むにつれこの演出はルドルフ個人への皮肉ではなく、むしろ妻や子どもたちの盲目性を象徴するのだと気づかされる。
「お前たちには贅沢させてやってるのに」
「私が望めばお前なんかすぐにも骨になるのよ」
妻ヘートヴィヒがたたく軽口から、邸宅で働くメイドたちは収監された囚人たちから選ばれているのだとわかる。はしゃぎ回る子どもたちがベッドで遊ぶおもちゃのように見えるものが、人の歯や顎関節だとわかる。懐中電灯に照らされた金属製の入れ歯が子ども部屋の昏がりに輝く。日中に遊んでいて拾ったのだという。
狂ったこの視野狭窄社会も悪くない、私たちはみな地下に住んでいる。
自らにかけた魔法。罪に溺れた奴らの下で新たな祈りを希求する。
新しい宗教をみつけるときがきた。
当時流行りだした仮想現実(Virtual Reality)の奔流に待ったをかけ、いま生きているこの現実こそがすでに「仮想狂気」なのだとジェイ・ケイが歌いあげる1996年制作の“Virtual Insanity”PV終盤では、彼の足元に甲虫が這い回り、鮮血の赤がほとばしる。漆黒のカラスが二度飛び立つ。アングロサクソン系の神話において、夜明けに放たれる二羽のワタリガラスは思考と記憶を象徴する。それから四半世紀が経ち、コロナ禍の閉塞世界をくぐり抜けジョナサン・グレイザーが映像化したのは絶滅収容所所長の邸宅で、そこで描かれたのは無知なる者の愚かさなどではなく、ほんとうは知った上で気づかないフリを続ける“善き人”たちのかしこき振る舞いである。そこに映しだされているものは、ルドルフ・ヘスの同僚アドルフ・アイヒマンを形容しかつてハンナ・アーレントが言った「悪の凡庸さ」とは似て非なるもの、悪と言分けしたところで何ひとつ明瞭には像を結ばない、私たち自身の似姿にほかならない。
さてヒトラーが自殺した1945年4月末からすでに79年が経過したが、ナチス関連の映画はいまだ大量に撮られ、日本でも新作が毎年続々と公開されている。『メンゲレと私』は2023年暮れに日本公開となった、アウシュヴィッツほか六つの強制収容所で幼少期を生き抜いたダニエル・ハノッホへのインタビュー作品である。少年の瞳が映した収容所と人間の真実。人体実験を行うナチス医師ヨーゼフ・メンゲレに気に入られて生き延び、昨年90歳を迎えた語りの驚異的な鮮度。そしてパレスチナへと渡った戦後の体験語りも興味深く、ナチスに虐げられた人々の子孫が現在進行形でガザ地区を侵している現状へ重ね合わせるだに、人間の業の深さを思わずにいられない。
一方、現在も全国劇場公開中の映画『ナチ刑法175条』は、同性愛が違法とされていたために強制収容所へ送られた生存者たちを撮るドキュメンタリーだ。戦後の東西ドイツでなお残った同法に傷つき涙する高齢者男女の姿に、払われた犠牲の途方もなさが想像される。公然の秘密であった同性愛者でナチス突撃隊長のレーム粛清までヒトラーも見ぬフリを貫いていた、という挿話など諸々考えさせられる。強制収容所で受けた苦しみがナチス滅亡後も変わらずに続いた点は、ただ幼少であったという理由からその証言を軽く扱われ看過され続けた『メンゲレと私』の主人公ダニエル・ハノッホにもやや重なる。
これらの生き証人たちが、戦後も人々の無理解に晒され続けたことをおもうとき、ただ悪としてナチス関係者を斬り捨てる言明の中に潜むある種の徴候をめぐり、沸々と疑いが湧いてくる。このとき、『関心領域』の主人公ルドルフ・ヘスが遺した手記は多くの考えるヒントを与えてくれる。
ルドルフ・ヘスの著作『アウシュヴィッツ収容所』(片岡啓治訳、講談社学術文庫)はナチスが滅んだ戦後、死刑台へ向かう結末をヘス自身が受け入れたあと詳細に書かれた、アウシュヴィッツ収容所所長時代を中核とする回想記である。主観的な偏りはあれ事実関係については驚くほど誠実さも感じられる一方で、内面の真実を巡っては虚しさもそこかしこに看取される。その明晰な筆致にしてこの昏さはと、人間個人そのものの限界に溜め息さえ漏れ出てしまう。
またナチス勃興前段に横たわる、18世紀に端緒をもつドイツ義勇軍の精神的伝統からの影響等を思わせる記述などはとても読ませる。あの妙に肉体の健康美を結びつけるホモソーシャルな、強い共属意識由来の自己正当化を特徴とするナチス親衛隊(SS)の行動規範が、鉤十字の由来ともなったベルリンのロスバッハ義勇軍へのヘス自身の所属体験を通して描かれるくだりは殊に説得的だ。のちナチスが露わにした弑逆性の底に、ヘスはその手記で義勇軍を突き抜け遠く近世以前のチュートン騎士団にさえ連なる、ファナティックな宗教的熱情のほとばしりをみる。
軍人として名誉ある戦死を許された戦友たちが、私はうらやましい。私は、それと識らずして、第三帝国の巨大な虐殺機械の一つの歯車にさせられてしまっていた。その機械も打ち砕かれ、エンジンがとまった今、私はその運命を共にしなければならない。世界がそれを要求するから。――ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』 p.375
宗教的熱情について付記すれば、ヘスの実父は自ら東アフリカで布教も行った熱烈なカトリック信者であり、ヘスを聖職者にする願望を抱いていたという記述も注目に値する。そしてこの熱情、信念信仰に基づくこの昂揚こそが、アイヒマンの示した怜悧さと一見真逆なようでいながらその実『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でマックス・ヴェーバーが明かしたように、残酷無比な計算高さを貫徹させる。ドイツと日本の敗戦をきっかけとして植民地支配に基づく帝国主義体制は終わりを告げ、ソ連の崩壊により全世界がグローバル市場に単元化された今日世界はしかし、かつてマルクスが批判した際限なき搾取のはびこる、形を変えた奴隷制社会とも言い換え可能なほどの貧富格差をなお保持する。「どこかで起きている戦争」と「見えない場所で貫徹される収奪構造」への依存に、社会全体がより傾斜を強めている現況においては、「戦後社会」という言葉すらもが虚しく響く。目を背けることが可能なだけで、今この瞬間にも戦争はあらゆる場所で起き続けている。
ルドルフ・ヘスの手記でもうひとつ着目すべきは、ヘス自身の収監体験がその後の看守から収容所所長への道行きに強く影響したことが仔細に記されている点だ。ヘスはナチ党の初期メンバーであり、クーデター未遂となった1923年のミュンヘン一揆を罪状として、一年半に及ぶ拘禁生活を送っている。ナチ党におけるヘスの位置づけをめぐり、『関心領域』では直属上司であったヒムラーとの関係性に絞った描写が為されているが、実際のヘスはヒトラーと懇意であり、獄中においては『わが闘争』の口述筆記をヘスが務め、その内容に深く関与したことが知られている。映画『関心領域』では詳しい説明なしに飛び交う台詞や、邸宅内外の映像に登場するギミックの多くについても、ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』を読むとその背景が逐一分かる。殊に農業をなりわいとした結婚生活を共に夢見ていた妻との関係性をめぐるロマンティックな筆致は、ナチ党へ至る要素を除いたルドルフ・ヘスの人間性を推し量るうえで参考になる。そこに浮かびあがるのは、むしろ真面目すぎることが下手をすれば仇になるほど実直な、ひとりのありふれた青年の像にすぎない。
ジョナサン・グレイザー監督は『関心領域』において、多くのカメラを同時に使用し複数の部屋や屋外で起こる出来事を同時に撮るという斬新な手法を試みている。演者に即興性を、場に自由度をもたらしつつ、実際にヘス一家が暮らした邸宅内に無数のカメラを設置することで制作全体を統御する方向性は、あたかも監視カメラが街じゅうを睥睨する今日の管理社会を象るようで目を引かれる。そこで演者の義務はただ役割に徹するのみであり、あとのことはすべてカメラの後ろ側で決定され、方向づけられる。その様は端的に監獄的であり、同時に今日の都市生活を暮らすわたしたちそのもののようにも映る。映画業界全体が停滞を強いられ、世界中の都市生活者がロックダウン下を生き延びたコロナ禍下の逼塞期、ジョナサン・グレイザーは1518年にストラスブールで起きた史実の、ダンシング・ペストとも呼ばれる集団狂死事件に材を採った映像作品“Strasbourg 1518”を発表している。〝それ〟に伝染した者は、息絶えるまで踊り続ける。閉塞環境からの解放、熱狂的な憑依が人々を死へ導く。
“Strasbourg 1518”で踊るダンサーたちの多くはヴッパタール舞踊団に所属するが、この舞踊団を率いた振付家ピナ・バウシュの名言「踊れ、踊れ、自分を見失わないように」“Dance, dance, otherwise we lost.”を逆手にとるようなジョナサン・グレイザーの演出は、『関心領域』におけるヘス夫妻の人物造形にも当て嵌まる。人はどだい何かの奴隷であり、この仮想的な狂気の中で回り続ける巨大な機械の一部にすぎないならば、寿命が尽きるか機械が壊れるまで機能し続けるほかにない。『関心領域』でクリスティアン・フリーデルが演じるルドルフ・ヘスは、直近で日本公開となった話題作『オッペンハイマー』でキリアン・マーフィが演じるオッペンハイマー博士と同様に、決して自らが従事する営為の善を盲信しているようには描かれない。夫ルドルフが転勤となってもアウシュヴィッツの邸宅暮らしにこだわる妻ヘードヴィヒ役をザンドラ・ヒュラーは、実は真相に気づいているがゆえ無意識に目を背け、目を背けている自身への苛立ちがドタドタと歩く姿にさえ表われ出ているひとりの女性の必死な生き様を、このうえなき名演により体現する。
したがって、周到な環境設定によりこれらの演技を導き出したジョナサン・グレイザーが、ただナチスの蛮行を糾弾する意図から『関心領域』を制作したのでないことは明らかだ。たとえばガザへ侵攻するイスラエルの兵士たち。彼らこそが、かつてアウシュヴィッツやダッハウで虐げられた生存者の孫や曾孫であるということの仄めかす、現下のリアル。イスラエル経済は好調で、牽制のためゴラン高原の対極シリア側には、ウクライナで手一杯のはずのロシア軍部隊が入ったとも報じられる。かようにマスメディアの映しだす界面とはまるで異なる次元で物事が決定され進行しゆく、どこまでも演劇的なリアリティの一断面。実際にジョナサン・グレイザーは本作のアカデミー賞授賞スピーチ(5部門受賞)において、イスラエルによるガザ侵攻をこそ糾弾した。これに対し、ホロコースト映画の画期作『サウルの息子』を生んだ映画監督であり、ホロコースト生存者であるユダヤ人の血を引くネメシュ・ラースローが「アウシュヴィッツの犠牲を貶めるもの」と批難したことは、二人の姿勢の差異をよく表す。
上海へ降り立つと、ふだん重用しているスマホの中のグーグルマップやツイッター、フェイスブックやインスタグラム等々は途端に意味をなくしてしまう。そのことの不自由さをしかし、上海で育った若者は共有することなく消費生活の豊かさを享受している。それら英語圏ベースの情報/消費ツールからの切断を不自由さと受け取る感性はこの中国においてまず外国人のものである。そして香港の若者の多くが2019年までの数年間、これらを含む法的制度的な不自由さを拒むために立ち上がったことは記憶に新しい。2020年代に入ってもそれら若者の多くは収監され続け、少なくない移住亡命者を生みコロナ禍を経た現下の香港街市に、2014年雨傘運動以降の熱量は最早ない。さて香港の若者が見ていた上海の若者の馴致性を、私たちはどう考えるべきだろう。グアンタナモなしでは成立しない米国社会を生きる人々や、東京拘置所を必要とする日本社会に暮らす私たちの働かせる感性にも、それはどこか重なって映りはしないか。
むろんウイグルや香港、グアンタナモや東京拘置所を例に挙げずとも、この社会は監獄を構造的に必要とする。人の心が監獄を欲望する。健やかにあるために、跪かせる他者を欲する。ユダヤ人の虐殺を「最終解決」と名指したナチス親衛隊はかつて、アウシュヴィッツ収容所を囲む地域を「関心領域」(独: interessengebiet)と呼んだ。善き人であるために、容易に人は他者を害する、無自覚に。あるいは無自覚のフリをして。心理学的探求の入る余地はそこにない。ただ目前の現実を自覚する、胸へ刻み込むべく、ホロコーストを再考する。この想念という頭部臓器の内壁へと灼き付ける。目を背けることなしには、ただ生きてあるということさえ至難なこの社会的自己を引き受けるということの。あるいは自己像を伐りだす欲望そのものの筋道と、その由来を。刻み込む。
また、一人の若い女性の姿が、私の目をひいた。……彼女は、最後の瞬間まで、たくさんの子どもをかかえてまだ脱衣の終らない母親たちを助けてまわり、やさしい言葉をかけ、子供たちをあやしていた。そして、最後の女たちと、倉庫の中に向っていった。だが、戸口までくると、立ち止って、彼女はこういった。
「私は、私たちがガスで殺されるためにアウシュヴィッツへ送られることを、初めから知っていました。働ける人びとが選び分けられるときに、私は、よその子を抱いてごまかしたのです。私は、全部を識り、はっきりとこの身に刻みたかったからです。願わくは、すべての早く終らんことを。さよなら!」――ルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』 p.301
(ライター 藤本徹)
『関心領域』 “The Zone of Interest”
公式サイト:https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/
2024年5月24日(金) 新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開。
『メンゲレと私』 “A Boy’s Life”
公式サイト:https://www.sunny-film.com/shogen-series
2024年1月26日(金)より全国公開中。
『ナチ刑法175条』 “Paragraph 175”
公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/paragraph175/
2024年3月23日(土)より全国公開中。
【引用参考文献】
ルドルフ・ヘス 『アウシュヴィッツ収容所』 片岡啓治訳 講談社学術文庫
Sarah Crompton “Strasbourg 1518: reliving a 16th-century ‘dancing plague’ in lockdown” The Guardian
https://www.theguardian.com/stage/2020/jul/19/strasbourg-1518-reliving-16th-century-dancing-plague-in-lockdown-artangel-jonathan-glazer-sadlers-wells-bbc
Tatiana Siegel, Alex Ritman “Controversy Grows After ‘Zone of Interest’ Director Jonathan Glazer Uses Oscar Speech to Condemn the Israel-Hamas War” Variety
https://variety.com/2024/film/awards/zone-of-interest-director-jonathan-glazer-oscar-speech-israel-hamas-war-gaza-controversy-1235940637/
【関連過去記事】
【映画評】 『ヒトラーを欺いた黄色い星』『ヒトラーと戦った22 日間』『ゲッベルスと私』 アウシュヴィッツの此岸 Ministry 2018年8月・第38号
中国、その想像力の行方と現代 新作映画ジャ・ジャンクー『帰れない二人』、フー・ボー『象は静かに座っている』にみる表現の自由と未来 2019年11月27日
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『関心領域』🇵🇱🇬🇧“The Zone of Interest”
幸福な家族景、の壁向こうから響く不穏。
アウシュビッツ収容所長ルドルフ・ヘスの邸宅が象徴する他者犠牲への無関心ぶり、その今日性に震撼する。
ただ理想の家庭イメージを追い求める姿が狂気そのものと化す、主婦役ザンドラ・ヒュラーの凄演に息を呑む。 https://t.co/EDB4Px0dBo pic.twitter.com/QTeV60QGO6
— pherim (@pherim) May 16, 2024
ジョナサン・グレイザーといえば、しかし何をおいてもJamiroquai “Virtual Insanity” MV(1996)なんです、極私的には。
狂ったこの狭窄社会も悪くない、罪に溺れた奴らの下で新たな祈りを希求する。這い回る甲虫と迸る鮮血の赤。カラスがニ度飛び立ったあとの世界で、もう四半世紀も息している、現実。 pic.twitter.com/i0NeeHiwit
— pherim (@pherim) October 19, 2020
『メンゲレと私』
6つの強制収容所を経験したダニエル・ハノッホは、当時幼かったためその証言が長く軽視されてきた。
少年がみた人間の真実。人体実験を行うナチス医師ヨーゼフ・メンゲレに気に入られて生き延び、昨年90歳を迎えた語りの驚異的な鮮度。
パレスチナへ渡った戦後の体験も興味深い。 pic.twitter.com/HLaJJAVZRy
— pherim (@pherim) December 19, 2023
『ナチ刑法175条』“Paragraph 175”
同性愛が違法とされ強制収容所へ送られた生存者を撮るドキュメンタリー。
東西ドイツで戦後も残った同法になお傷つき涙する姿に、犠牲の途方もなさが想像される。公然の秘密であった同性愛者でナチス突撃隊長のレーム粛清までヒトラーも見ぬフリ貫いたとは知らず。 https://t.co/I8mcm8SN5M pic.twitter.com/XHYMcVXFGG
— pherim (@pherim) April 6, 2024
“Strasbourg 1518”
踊り念仏の今日態。
それに伝染した者は、息絶えるまで踊り続ける。ダンス熱、ダンシング・ペストと呼ばれ史上幾度も記録されたうち、最大の被害を出した1518年ストラスブール事件を着想源とする、ジョナサン・グレイザーのコロナ禍応答作。
解放する。憑依する。さもなくば死。 pic.twitter.com/QnWz1YrkPU
— pherim (@pherim) November 25, 2020
“Oppenheimer”
原爆の父オッペンハイマーの生涯。本気のクリストファー・ノーラン演出と、超抑制されたキリアン・マーフィの凄演。🔥
戦後の苦悩までもを質実に再現、Interstellarの多次元宇宙を理論物理学者の脳内へ爆縮させる映像濃度に戦慄する。出演陣豪華鮮烈。全く原爆肯定の話ではないよ。(続 https://t.co/srENk6EU60 pic.twitter.com/LBFOyRDf0a
— pherim (@pherim) September 18, 2023
『サウルの息子』
試写。反乱が起こるビルケナウ絶滅収容所内で、息子の遺体をユダヤ式に弔うことへ異様な執念を見せる一人の男。徹底した近視点による臨場感と、削ぎ落とされた筋立ての生む緊迫感が驚異的。人体の家畜的処分と尊厳。1月23日公開。https://t.co/ST3cPyjgia— pherim (@pherim) January 22, 2016
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