厳しい稽古も終わりが見えていれば乗り切れる【聖書からよもやま話367】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エレミヤ書の30章です。よろしくどうぞ。

 

エレミヤ書 30章7節

それはヤコブには苦難の時。
だが、彼はそこから救われる。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

人生において、生活において、苦しい状況に陥ってしまうことが僕たちにはどうしてもあります。そんなとき、僕たちはつい「これがいつまでも続くんじゃないか」「ずっとこのままなんじゃないか」なんていう気持ちになってしまいがちです。反対に苦しい状況の中にあっても「いつかそれが終わる」ということが見えていれば、それほど心を落ち込ませずに済むものです。前を向いて進めるものです。

高校時代に剣道部にいたのですが、合宿での稽古はとても辛いものでした。疲れ果てて立てなくなるような厳しい稽古を午前と午後に毎日2回ずつ。でもそれを乗り越えられたのは「5日間」と期間が決まっていたからでした。厳しい中でも「あと4日、あと3日、跡2日・・・」と、そこから解放される日を指折り数えて、毎日の稽古を乗り切ることができました。これがもし「無期限」の合宿であったらとても耐えられなかったと思います。

神様は僕たちに「どんな苦難も終わりがあるのだよ」と聖書を通して約束してくださっています。今がどれほど辛くても、それがずっと続くことはない。いつかやがて解放される時が来ると。これも一つの福音(=よい知らせ)です。この福音があるからこそ、クリスチャンは苦難の中にあっても前を向くことができます。時には詩篇でダビデが何度も問うたように「いつまでですか、神様」と問いたくなる時もあります。しかしダビデが「いつまでですか」と問うのは、いずれ終わりの時が来ることを前提としています。終わる前提でなければ「いつまで」なんて問いません。
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今、皆さんもそれぞれ様々な苦難の中に置かれているかもしれません。経済的な不安、うまくいかない人間関係、家庭の問題、健康の問題、理不尽な繁忙期・・・さまざまな苦難がありますが、そのどれも、いつまでもずっと苦しめられることはありません。人間が「この苦しみは終わることがない」と思ってしまうのは、人間特有の一種の「錯覚」なのだと思います。

たとえばそれが病気なら、病気自体は治らないかもしれません。僕も脳性麻痺という障害を抱えています。これは現代の医療技術では「治る」ことはありません。でも僕はいつしかその「苦しみ」からは解放されています。麻痺している体との付き合い方をすっかり覚えてしまったからです。むしろそこから恵みを受けることさえ増えました。それこそ剣道部にいた中学・高校の頃は「僕の体のこの不便、苦しみ、弱さから僕は解放されることはないのだ」と絶望したこともありましたけれど。

今、確かに毎日、身体のどこかが痛みます。どこも痛くない日は年に3日もないくらいです。でも僕はそのことをあんまり気にしてはいません。「いつか終わる」と思っているからです。痛みが消えることはないかもしれませんが、痛みと付き合うことはできるようになると思っているからです。経済的にもあまり豊かだとは言えませんが、それも必要なだけは神様が必ず与えてくださると信じていますから、これもあんまり気にしていません・・・と、言うと言い過ぎかもしれませんが。ときどき不安になったりはします(笑)。でも不安な時でも心のどこかでは「大丈夫」と思っています。それは神様が「君は救われるのだ。救われているのだ」と宣言してくださっているからです。

苦しみがいつまでもそのまま続くことはない。このことだけでも、心のどこかに置いていただければ、いくらか生きるのが楽になるのではないかと思います。その日がいつかはわかりませんが、きっと来ます。終わりが見えていれば、きつい稽古も耐えられます。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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