何をしてもいいけれど「誰も幸せにならないこと」はダメ。【聖書からよもやま話252】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、コリント人への手紙第一の6章です。それではよろしくどうぞ。

コリント人への手紙第一 6章12節

「すべてのことが私には許されている」と言いますが、すべてが益になるわけではありません。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ノンクリスチャンの方から、「クリスチャンってお酒飲んじゃいけないんでしょ?」とか「肉を食べちゃいけないんでしょ?」なんて尋ねられることがあります。その他にもクリスチャンには多くの「禁止事項」があるようなイメージを持っておられるノンクリスチャンの方は少なくありません。しかし、実はキリスト教には驚くほど「禁止事項」はありません。教派によって多少の考え方の違いがあるとはいえ、何を食べてもOKですし、泥酔することは戒められていますがお酒を飲む方も少なくありません。

クリスチャンはイエス様の恵みによって、あらゆることが許されています。が、あらゆることが推奨されているわけではありません。「俺たちは何を食べてもいいんだ!だから好きなものを好きなだけ食べるぞ!」と暴飲暴食をすれば、当然体を壊します。その時に「神様は何を食べてもいいと言ったのに、体が壊れたじゃないか、神様のうそつき!」と文句をいうのは明らかに筋違いです。
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いくらか前に、鎌倉のかなり偉いお坊さんとお話しさせていただく機会があったのですが、その時に肉食について尋ねてみました。するとこんな答えが返ってきました。「普段の生活で食べることはありませんが、檀家の方々や訪問先の方々が私のために用意してくださったものであれば、それを断ることはせずにありがたくいただきます」

肉食が禁じられているお坊さんであっても、それが人々のために必要であれば食べる。クリスチャンにはあらゆることが許されていますが、それは「人を救うために必要であれば、あらゆることを禁じない」という意味なのかと思います。イエス様は「大酒飲み」と揶揄されるほどお酒を飲んだようですが、しかし一人でやけ酒を飲んだなんてことはどこにも書いてありません。イエス様はいつも誰かと交流をするためにお酒を飲んでいました。

肉食もお酒も、その他いろいろなことも禁じられてはいませんが、それが自分にふさわしくないと思うならやめた方がいいですし、それは他の人のためにならないと思うならなおさらやめた方がいいです。「他の人をつまずかせること」は聖書でも明らかな罪とされています。ですから、あらゆることは許されていますが、それが他の人に悪影響を与えるなら、それはすべきではありません。そして自分自身をつまずかせる、つまり自分自身に悪影響を与えるのでも、それはすべきではありません。

あらゆる行動について「それが誰のためになるのか」「誰の幸せのためになるのか」ということを考えるのは大切だなと思います。もちろん他の人でなく、自分の幸せのためだって構いません。自分を愛することは人を愛するのと同じくらいに大切なことですから。自分の一つ一つの行動をよく観察して「誰も幸せにならないこと」はやめなくてはいけないな、と思います。

とか言いながら時々、やけ食いやけ酒をしてしまったりするのですが。自戒。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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