どれほどのお金や権力でも神様と教会は動かせません。【聖書からよもやま話221】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、    列王記第二の1章です。それではよろしくどうぞ。

◆列王記第二 1章9〜10節

「神の人よ、王のお告げです。下りてきてください。」
エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「私が神の人であるなら、天から火が下ってきて、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

昔からの外交の不文律として、外国からの使者をどう扱うかは、その使者を遣わした人をどう扱うかと同じとみなす、というものがありました。たとえば信長からの使者を斬ってしまったら、それは信長本人を斬るのと同じということですから、それは立派な宣戦布告行為と言えたわけです。

ここで登場するエリヤは預言者ですから、神様からのいわば使者です。ですから彼をどう扱うかは、神様をどう扱うかと同じです。彼の預言を信じないのは神様を信じないのと同じですし、従うのは神様に従うのと同じです。アハズヤ王はそのエリヤのところに自分の使者として五十人隊長を送り、「私のところにきてください」と要請しました。一応、「要請」という形をとって丁寧な言葉を使っていますが、アハズヤからすれば自分は王、相手は自分の国内にいるエリヤというたった一人の人間ですから、これは事実上の命令でした。「俺のところに早く出てこい」という意味です。

しかし神様から見ればエリヤは自分が名代として遣わした預言者、アハズヤはただの人間に過ぎません。アハズヤがエリヤに命令するのは、ただの人間が神様に命令するのと同じことでした。そこで神様は怒って、その五十人隊長と彼の部下である五十人の兵士を焼き尽くしてしまいました。隊長や兵士はとても気の毒に思いますが、神様はこのことで「人間が神に命令することはゆるさない」という強いメッセージを伝えています。信長の使者に誰かが勝手に命令をしたら、信長は怒りますよね。それと同じです。使者に対する無礼は主人に対する無礼と同じ、預言者に対する無礼は神様に対する無礼と同じなんです。
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しかし、考えてみれば現代の僕たちもまた、このアハズヤ王と同じことをしょっちゅうしてしまっています。「お祈り」の形で「お願いします」と丁寧な言葉を使いながらも、神様に対して「あれをしろ、これをしろ」と命令してしまっていることが多々あるのではないでしょうか。現代では神様の使者は教会であるとも言えますが、教会や牧師に対して「もっと自分のためにこうしてくれたらいいのに」とか「教会はこうあるべきだ!」なんて心のどこかで命令してしまっていることも、よく胸に手を置いてみればあるかもしれません。

もちろん教会も人間の集まりですから、誤ったことをしてしまうこともありますし、それを是正するのは大切なことです。しかしそれが健全な是正や指摘や改善策ではなく、もっと「自分勝手」な主張であるならば、それはもしかしてアハズヤと同じ罪を犯してしまっているのかもしれません。

特に、社会的地位や経済的バックボーンの強い人は、それらに劣る教会に対して、このような「命令」を往々にしてやってしまう傾向があるようです。「私は国会議員、あなたはただの牧師。私の方が偉いんだからあなたは私に便宜を図るべきだ」とか、「私はこの教会にこれだけ献金しているのだから、もっと私を尊重すべきだ」とかです。アハズヤも「王」というこれ以上ないほどに強い社会的地位を背景に、神様を意のままに動かそうとしました。しかしどんなに強い社会的地位や大きい経済的バックボーンをもってしても、神様や教会はそれによって動かされることはありませんし動いてはいけませんし、動かそうとしてもいけないんです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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