オリンピックで大切なのは記録よりもまずルール【聖書からよもやま話9】
今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から、皆様の役に立つこととか立たないこととかを話してみようという【聖書からよもやま話】、
今日、選ばれたのは新約聖書、テモテへの手紙第二の2章です。よろしくどうぞ。
◆テモテへの手紙第二2章5節
また、競技をする人も、規定にしたがって競技をしなければ栄冠を得ることはできません。
いよいよ明日にオリンピックの開会式が迫ってきたこのタイミングでこの聖句が与えられるとは、まさに「神のなさることは時にかなって美しい」ですね。
今日の箇所はパウロが、その頃落ち込んでしまっていた弟子のテモテを励ますために書いた手紙の一部です。そしてこれはまた、自らの残りの生涯がもはやあまり長くないことを悟ったパウロからテモテへの遺言書ともいえる手紙でした。自分の人生をほぼ完走しようとしているパウロが「私はちゃんとルールに従って走った。走り抜いた。でもルールに従って走るのでなければ、せっかく走っても栄冠を得ることはできない。だからテモテ、君もルールを守って、そして走り抜きなさい。」と、こんなメッセージを語っているんです。
パウロの生きた当時には、すでにオリンピックはありました。聖書には数カ所「競技」という言葉が出てきますが、これはオリンピックのことを指しています。当時のオリンピックにはただ「競技する時に従うべきルール」だけではなく、「競技に出場するためのルール」も今よりもずっと厳しいものとして存在していました。
ちょうど今回のオリンピックは、いつもよりも「競技に出場するためのルール」が厳しいですよね。コロナ感染対策で、出場する選手には事前に検査、ワクチン、隔離などなど、様々なことが求められ、それを満たさなくては競技に参加することさえできません。どんなに優れたアスリートでも、これらのルールを守らなくては栄冠を得ることはおろか、そもそもスタートラインに立つことさえできないんです。
人生もまた、同じなのかもしれません。ただ人生の目標を達成すればいいのではなく、ちゃんとルールに従って生きなければ栄冠を得ることはできません。そもそもあまりにもルール違反な人は、成功するチャンスさえ得られないかもしれません。
昔、ベーシストだった頃に、師匠にこんなことを言われました。「どんなベーシストが仕事をもらえると思う?テクニックが優れたベーシスト?違うよ、決められた時間にいつもちゃんと演奏のスタンバイができているベーシストだよ。テクニックがあるかどうかは、その次の問題で、仕事のルールを守れなかったらどんなにすごいテクニックも、そもそも誰も聴いてくれないんだから」
そして、そのルールブックが聖書なんです。ルールを知らなければ守ることもできませんから、日々少しずつでも学ばないとな、と思います。時々サボっちゃったりもしますけれど。
それではまた。
主にありて。MAROでした。


MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。