【連載小説】月の都(35)下田ひとみ

 

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鶏の唐揚げ、鰯(いわし)の団子汁、豆腐のハンバーグ、ニラがたっぷり入った餃子(ぎょうざ)。

今日は何を食べて元気になってやろう。

朝一番、真沙子はまずこのことを考えた。

夫の薄給では贅沢(ぜいたく)は望めない。が、スーパーの広告とにらめっこをして、新鮮で安い食材を手に入れると、真沙子はアパートの狭いキッチンから、まるで魔法のように、おいしくてボリュームがあってスタミナのつく料理を次々と創りだし、それをモリモリとたいらげるのであった。

陶子の自死は真沙子にとっても衝撃的な出来事であった。

しかし、こんな最中でも、洗濯物はすぐ山になるし、部屋は散らかるし、キッチンの洗い物もたまる。何より母親が暗いと子供たちが不安になるので、何としても元気を出さねばならない。それに、教会での牧師夫人としての務めもあった。加えて、妊娠中の自分の健康管理もおろそかにできない。

だから、まず何よりも腹ごしらえが肝心なのである。腹が減っては戦(いくさ)ができぬ。きびしい現実と戦って勝利するための基本はこれ。食は元気の源。ダイエットなど、今となってはどこ吹く風であった。

「残しちゃ駄目よ、ケンちゃん」

食の進まない謙作にも、できる限り食べさせようと努力した。

「食欲がないんだ」

「駄目だってば」

「でも……」

「気合い!」

陶子の一件の責任をとるとして、謙作は辞意を表明した。

しかし、教会側から謙作を引き止める嘆願書が出された。そのために、本部を交えての話し合いの場がもたれ、その結果、謙作は浅香台キリスト教会に留まることになった。

謙作は教会では元気に振る舞っていたが、家では意気消沈し、ふさぎ込んでいた。子供たちもそのことを感じ取って、甘えたり、まとわりつかなくなっている。

「おかーしゃん、ぐりとぐら読んで」

「お父さんは?」

「お昼寝してる」

謙作はまるで見えないシェルターに一人でこもっているかのようだった。

 

月日が流れ、やがてその年の夏が終わった。

小川に沿って彼岸花が咲いている。つくつくぼうしの鳴く小道を、謙作は歩いていた。牧師会の帰り道であった。

ちょうど去年の今頃だった。

歩きながら謙作は思い出していた。陶子のことを牧師会で聞き、受け入れる決意をしたのは。

陶子の自死は、まるで爆弾が炸裂(さくれつ)したかのような衝撃を教会の人々や関係者に与えた。

「まさか……」といってうなだれる人。「嘘(うそ)……」といって泣き崩れる人。「信じられない」といった顔で押し黙っている人。さまざまな反応であった。「どうしてこんなことが……」と、つまずいて教会を去っていった人もいた。外部ではスキャンダラスに騒ぎたてる人もおり、人々の傷は深まった。

悲嘆と混乱のただ中で、牧師として留まることになった謙作一家を支えたのは、1年前の役員会で陶子を招聘(しょうへい)することに決めた、天宮長老や城島執事をはじめとする、あの時の役員の一人一人であった。

彼らは謙作のカラ元気を見抜き、身重の真沙子の身体を気づかってくれた。二人に負担をかけさせないようにと、集会でのメッセージを分担して受け持ち、細々(こまごま)としたことにまで配慮して、助けてくれたのである。

おかげで謙作は少しずつ、見えないシェルターから抜け出していくことができた。(つづく)

月の都(36)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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