美容師だからこそ「あなたはそのままで美しい」と伝えたい/ヘアサロン「SKIP」オーナー・NAOさん 【たまものクラブ】

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――NAOさんはいつ頃から美容師になりたいと思われたのでしょう?

子どもの頃から人の髪の毛に触ることが好きで、身近にいる人に三つ編みさせてもらったりしていました。そのときに「ありがとう」「上手だね」なんて言われるととっても嬉しかったことを覚えています。

もうひとつは、映画の影響も大きいと思います。
よく、冴えない女の子がかわいく変身して、一気に生活が変わる――そんなシンデレラストーリーを描いた作品がありますよね。
私はヒロインよりも、その女の子を変身させる“裏方”の動きを見ているのが楽しくて。

だから、高校生になって進路を考えるタイミングで、自然と美容専門学校への進学を決めていました。

――美容専門学校卒業後は、どちらでお仕事をされていたのですか?

上京して、都内のサロンで約10年間働いていました。

沖縄に戻り、2021年からは完全予約制のマンツーマンサロン「SKIP」を運営しています。

――その頃から、いずれは故郷で開業したいと考えていたのでしょうか。

上京するときには家族に「2、3年で帰ってくるね」なんて言っていたのですが、現実的には2、3年で美容師として一人前になれるわけでもなくて…。
スタイリストとしてたくさんのお客様と信頼関係が築けるようになり、自信が付いてくると、仕事がどんどん楽しくなっていきました。
だから、家族には「あと1年、もう1年」と言いながらも、実際は「いつかは」「老後は」というような気持でしたね。

沖縄に戻ることを決めたのは、29歳の誕生日に「30代の自分は、どこでどんな生活をしているんだろう」と自分の人生振り返り、見つめ直したことがきっかけです。
働いていたサロンでは役職を与えられ、やりがいも感じていたのですが、組織の中にいる限り本当に自分がやりたいことはできない。だったら、自分でお店を作ればいいのではないか、30歳という節目がまさにチャンスではないか、という結論に辿り着きました。

それから…これは言い訳になってしまうのですが、当時の私は朝から晩まで仕事をしているような状態で、まったく教会にも行けていなかったんです。礼拝がある日曜日はもちろん仕事ですし、平日の祈祷会などに行く余裕もなくて…。
あの頃の私は、仕事が生活のメインになっていて、ピリピリしていたんじゃないかなと思います。

――目まぐるしく時間が過ぎる東京で、精いっぱい仕事に尽くした時間だったのではと想像します。
独立することに対して、不安はありませんでしたか?

“沖縄人あるある”かもしれませんが、神様がいつも側にいてくださるという確信もあって、当時は「きっと、なんとかなる」という気持ちの方が強かったです(笑)。

開業を考えて沖縄に戻り、そこからいざサロンを持つまでに数年かかりました。
物件探しをしながら開業資金が必要だったのでフリーランスで美容室で働きつつ、アルバイトもしながら、それと同時進行で事業計画をして物件探しをしていました。

約1年後にいい物件との出合いがあり、開業に向けて準備をはじめていたのですが、結局その物件は借りる事ができず…物件に合わせて考えていた計画も白紙になり、一度道が閉ざされてしまいました。
そのときに私は、神様が「ここじゃないんだよ」と道を閉ざしてくれたんだなと感じたのです。(続く)

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