思い出の杉谷牧師(8)下田ひとみ

 

8 教会の春夏秋冬

教会には1年中いろいろな行事があった。
正月の元旦礼拝。
この日ばかりは日本人らしく、教会にも着物姿の人が目立つ。いつもの日曜より30分遅い午前11時に礼拝が始まり、お昼には持ち寄った餅で雑煮を食べながらの愛餐会が行われる。私たちはそこで年始の挨拶をし、新年の抱負を語り、和やかに時を過ごしていく。
春の復活祭。イースター。
水仙、フリージア、ストック、百合、講壇に活けられた芳香ただようそれらの花々で象徴される、イエスが甦(よみがえ)られた喜びの日。春分後の最初の満月の次の日曜日に、その日はやってくる。
赤や黄に色づけされたゆで卵が配られる、子供たちにとっても楽しみの日である。
夏がきて、夏休みが始まる。
「男の子たちは、キャンプファイヤーに使う枝を庭から集めて。女の子たちは、花壇のお花にお水をやってね」
教会学校の先生の、よく通る声が響く。子供たちの歓声、黒板のチョークの匂い、テーブルの『子ども賛美歌』。
ビニールで作ったプールに、待ちきれない子供が足を入れようとしている。ふざけて向けられたホースの水。水しぶきが七色に光り、幼い叫び声が上がる。
幼稚科の子供たちが昼寝をしている午後に、小学科の子供たちがカレーをつくっている。額の汗、包丁を持つ危なげな手つき、慣れないコンロの火。でもこれも、昼寝から起きだした幼稚科の子供たちの「おいしそう!」のひとことで一気に報われる。そして夏期学校のカレーは、いつもとびきりおいしいのだ。
学んだり、歌ったり、遊んだり、つくったり、そして食べたり、子供も大人も一緒に、みんなで元気いっぱいの、教会学校の夏期学校。
そして秋、特別伝道集会、略して特伝。
これは年に2回、春にも行われ、春の特伝、秋の特伝と、私たちは区別していた。他の教会から講師の先生を招いたり、映画会を催したり、その年その年で内容はさまざま。神様のことを知らない人々にひとりでも多く福音をと、案内の立て看板やポスター描き、ビラ配りにハガキ、電話案内と、忙しくも充実した日々を送る。
11月3日、文化の日のバザー。
幼稚園と共催ということもあって、毎年多くの人が訪れる活気ある日。私たちは幼稚園の保護者と一緒になって、料理をつくり、皿洗いをし、あるいは映画を上映し、本や手芸品を売り、運んだり、計算をしたり、かたづけたりして、1日中立ち働く。
秋が終わり、教会の庭を落ち葉が埋め、迎える冬。

私たちにとって胸ときめく季節がやってきた。11月の終わり、あるいは12月の初め、その年の暦によって違いはあるが、ある日、教会の講壇に4本の蝋燭(ろうそく)が立てられる。アドベント(待降節)に入ったのだ。日曜の聖日ごとに蝋燭の灯は1本ずつともされていく。4本全部がともった週に、クリスマスを迎えるのだ。
教会堂は50人が座れるほどの広さの木造平屋建てで、木の十字架が講壇にかかっているだけの質素な内部だった。
でもこの時季には、講壇にはつやつやとした本物の樅(もみ)の木が飾られ、真っ赤なポインセチアの鉢が並べられる。
そこで私たちは、劇の稽古や歌の練習、衣装や舞台づくりなど、クリスマス会に向けてのさまざまな準備を行った。救い主であるイエス・キリストの誕生を祝って、教会ではいろいろなクリスマス会をするのだ。
教会学校、青年会、中高生会、婦人会、そして各々の家庭集会のクリスマス会等々。(つづく)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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