2月6日「宗教と政治」

クリスチャンにとっては、「政治的」とは広い聖書的な関連と聖書的次元が求められる。腐敗と邪悪に汚染されていないもう一つの方法を見出す代わりに、「政治的」という言葉をそのまま使うことが重要なのである。そうすることで、わたしたちは恵みに強く固執するような場所で神を見るように訓練されて行く。「宗教と政治は両立しない」と警告する人々は何を話しているかがよくわかっている。その結果、様々な問題が発生した。― 十字軍、宗教裁判、魔女狩り、搾取(さくしゅ)などである。同じように神は「両立せよ」と告げる。しかし、どう両者を両立させるかには非常に慎重にしなければいけない。唯一で安全な方法は祈ることである。人生を宗教と政治の行動に分けることは非聖書的であり、また非現実的でもある。あるいは神聖な分野と世俗的分野に分けることも同じことなのだ。では、政治が宗教的な倫理を大事にし、宗教が政治のような規律と秩序を持つことが望ましい中では、どのようにして宗教を「利用する」政治や、政治を「利用する」宗教を、一方を他方の無節操な手法の中に手渡すことなく、両者を協働(きょうどう)するように導けるのだろうか? 二つのこの正反対なものを相互活性的な関係といった偉大な目標へと導く唯一の適切な手段は祈りである。詩編は行動を伴う祈りを示す最も広範囲な原始資料である。

だから、反逆の王たちよ、頭を使え。
 新進気鋭の審判者たちよ
あなたがたのレッスンを学べ。
 神を抱擁しながら崇拝せよ、
震えるような畏敬の念を抱きながら祝杯をあげよ
 救い主に口づけせよ!
― 詩編2編10~12節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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