2月3日「静まれ」

詩編46編の最初の命令の後、二番目の命令が次のように続く……

第二の命令はこう記す。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩編46編11節)、と。静まれ。小さな自助自立の企てよりも人生には多くのことがあることに気づくために、長い距離を慌てて通ることは止めなさい。わたしたちが騒がしく、急ぐ時には、親密な関係を持つことは出来ない。 ―― 深く、複雑で個人的な人間関係 ―― もし、神が贖(あがな)いの生きた中枢であるならば、そのような人との意思に応え連絡を取り合うことが不可欠である。神はこの世に対して意図があり、わたしたちがそれに加わりたいと願うならば、わたしたちは長い間如何いうことかを知るために静かにしていなければいけない。(夕方の二ユースを観るまでは確かなことは分からないからだ。)ほとんどの話題で賢明な意見を持つバロン・フォン・ヒューゲル(Baron von Hügel, 1852 – 1925)はいつも「人々が右往左往する時には、何一つも達成したためしがない」と述べている。

渋滞から抜けだせ!
 あなたのいと高き神である。
わたしを見ることを愛おしみながら
 じっくり見つめよ。
政治や全てを超える、いと高き神を。
― 詩編46編9節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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