4月27日「結婚」

 わたしが結婚式の準備のために訪ねてくる人々に対してよく言うのは、「結婚式はやさしいが、結婚は難しい」ということだ。カップルは結婚式を思い通りに計画するが、わたしは「結婚」の計画を立てたいと願う。彼らは新郎新婦の付き添いがどこに立つのかを知りたいと思うが、わたしは彼らが互いに赦(ゆる)し合う仲になって欲しいと願う。彼らは「結婚式」で演奏される音楽について話し合いたいと思うが、わたしは長い結婚生活で直面する色々な感情的な問題を話し合いたい。20分間の「結婚式」であれば、わたしは目を瞑っても何ら問題なく行うことが出来る。しかし、「結婚」には何年もかけて注意深く、大きく目を開いて見守る必要がある。

 「結婚式」は重要である。「結婚式」は素晴らしいし、感動する。「結婚式」は感銘深く、時には多額の値段がかかる。わたしたちは「結婚式」で涙し、そして「結婚式」で笑う。時間通りに、決まった場所で、適切な言葉を発するように気を配る。人々が何処に立つのかも重要である。衣装を如何着るかも重要である。細かな一つひとつ ―― 花、このキャンドル、その他などなども記憶に残るものである。いずれにしても、「結婚式」は簡単である。

 だがしかし、「結婚」は複雑で難しいものである。「結婚式」で誓約した共に生きて行くこと愛し合うことの誓いの内実を「結婚」における生活の細部にわたって実行しなければならない。「結婚式」では、信じあった愛の言葉が語られるが、「結婚」の中でその言葉の中身が営々と豊かに具体化して行かなければいけない。「結婚」の生活が伴わない「結婚式」は唯(ただ)のイベントであり、余り意味がない。もし、ドレスに着飾り「結婚式」をしても、また結婚記念日ごとに「結婚した、結婚した、結婚した!」と確認し合って何かの記念行事を行ったとしても、もしその二人が「日ごとに愛を分かち合うこと」も「いつも変わらずに優しくし合うこと」も「互いによく聴き合うこと」も「工夫して与え合うこと」も「創造的に祝福し合うこと」がなければ、それは全く無意味である。

くれぐれも、当たり前にことを進めてはいけない。
みんなが「よい」と思うことを求めて、たゆまず進め。そのために、自分が持っているものを他の人と共有せよ。神は、礼拝の行為を特に喜ばれる。
ここで言う「礼拝」は「犠牲」といったものとは異なる。それは台所や職場や路上で行われるものである。
―― ヘブライ人への手紙13章16節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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