【断片から見た世界】『告白』を読む 親友アリピウスの悩み

年下の親友アリピウス

アウグスティヌスは「生きることの意味」の問題をめぐって悩み苦しんでいましたが、孤独なわけではありませんでした。それというのも、彼の周囲には、探求の道のりを共にする友人たちの存在があったからです。

「わたしたちは、なかよくいっしょに生活していつもこのようなことを嘆いていたが、わたしは、とくにアリピウスとネブリディウスと親しく語りあった。その二人のうちアリピウスはわたしと同じ町(タガステ)の出身で、上流社会の子弟であったが、わたしよりも年少であった……。」

この友たちの中でも、アリピウスという年下の親友は『告白』の物語の道行きにおいて、きわめて大きな役割を果たすことになります。今回の記事では、この辺りの事情について見てみることにします。

「真実の幸福」の探求に共にいそしむ……が、しかし

この当時、アウグスティヌスの周囲に集まっていた友人たちのグループには主に言って、二つの特徴があったようです。

まず一つ目は、彼らがみな、哲学することに対して大きな関心を持っていたことです。彼らのうちの多くはアウグスティヌスと共に、あるいは少し遅れてキリスト教への回心を遂げることになりますが、ほとんどの人々は最初からキリスト教に関心を持っていたわけではありませんでした。むしろ、哲学の書物を読みあさり、知恵はどこにあるのかと皆で探し求めている間に次第にキリスト教信仰の問題へと行き着いていったというのが実情のようです。

二つ目の特徴は、彼らは職業も年代もそれぞれ異なってはいたけれども、「真実の幸福」を追い求めているという点においては一致していたことです。

すなわち、哲学することは彼らにとって、単にもっと知識を増やそうとか、この世でうまくやってゆこうといった目的に役に立つものではなかったのです。むしろ、哲学に打ち込むことは彼らにとって、人間として真実で幸福な生き方へとたどり着くための「道」そのものにほかなりませんでした。ここから登場する年若きアリピウスは、その中でも特に真理の探求に熱心な人々の一人でした……が、青年アウグスティヌスと形は違えど、彼も自分自身の人生の行く先を左右しかねない、重大な問題を抱えていました。彼は、ほとんど病気と言ってよいくらいの競技場狂いのせいで、法律家としての将来をだめにしかかっていたのです。

St.Peter’s basilica in Vatican. Italy

 

時には、泥沼に入り込むこともある

論点:
哲学の道を行く人間は、全身全霊で「真理の探求」に打ち込む。しかし、その一方で……。

アリピウスは決して不真面目な青年だったというわけではなく、むしろ、真面目すぎるというくらいの性格の持ち主でした。『告白』においては、彼の品行方正ぶりや、普通なら世の中のやり方に迎合してしまうところで自分の信念を曲げることのない廉潔ぶりが、さまざまな箇所で語られています。

しかし、こと競技場のこととなると、彼はもう全然だめでした。剣闘士同士を野蛮な仕方で戦わせることの非道徳性については、現代ではもちろん批判されていますし、また、この時代においても非難の声もなくはなかったもののようですが、アリピウスはこの剣闘士見物にまさしく無我夢中としか言いようのない仕方で、何もかもをかなぐり捨ててのめり込んでいました。『告白』の叙述から察するに、彼の熱狂ぶりは、「話が闘技場のこととなると他のすべてのことを忘れる」という位の中毒の域に達していたようです。

このことから分かるのは、それぞれの人間はその人自身にしかわからない、自分でもどうにもならない「弱さ」を抱えているという事実ではないでしょうか。

恋愛に関しては淡泊だったアリピウスには、年上の親友であるアウグスティヌスにはなぜ情欲を捨てることができないのか、さっぱり理解できませんでした。しかし、アウグスティヌスの方はアウグスティヌスで、後輩アリピウスがなぜ競技場狂いの病から抜け出すことができないのか、謎でしかなかったもののようです。「真理の探求」の営みは、どうにもならない弱さを抱えた人間たちによって、時には「一体なぜ、こんな所にはまり込んでしまったのか……」と言わざるをえないような泥沼に落ち込みながらも続けられてゆきます。彼らは自分自身が「実存の泥沼」にはまり込んでしまった苦い経験を持つからこそ、長い悩みと苦しみの過程を経て、同じような泥沼の中でもがいている人々に何ごとかを語りうる人間へと変えられていったのです。歴史に残るくらいに真剣な人たちの生活であっても、少し詳しく覗き込んでみるならば、その内実は少なからずめちゃくちゃであった。『告白』の中には彼らの偉大さと同時に弱みも余すところのなく書き残されていますが、そうしたことも含めて、この本が四世紀の地中海世界を生きた人々の貴重な魂の記録になっていることだけは間違いないようです。

おわりに

探求の道は果てしなく長いのであって、心の平安と共に「わたしは弱いときにこそ強いからです」と言うことのできる境地に至るまでには誰しも、数々の泥沼や袋小路に陥ることは避けられないものなのかもしれません。次回の記事では、アウグスティヌスの親友アリピウスの抱えていた弱さについて、もう少しだけ詳しく見ておくことにしたいと思います。

[この一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]

 

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