12月14日「『見よ、この男だ』と言った」

イエスは茨(いばら)の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。(ヨハネによる福音書19章5節)

ローマ兵士たちはピラトに命じられて、イエスを鞭(むち)打った。それから、彼らは主の頭に茨の冠をかぶらせ、紫のマントを「ユダヤ人の王、万歳」とって嘲(あざけ)り、平で打ったピラトは主イエスを鞭打った後、放免しようと、ユダヤ人たちの前に引き出して、った。見よ、この男だ」

ヤ人の仕立てられた哀れな男を見よこの人は「見るべき面はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。軽蔑され、人々に捨てられ、多くの痛みを負っている」(イザヤ532 )しかし、この人は神の怒りによって捨てられるべき罪人を神のみに包むために、人間の背きと咎(とが)を身に負われたである「彼が刺しかれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった(イザヤ535)。罪なき神の御子(みこ)がこの世に来て、人間の罪のために苦しみ殺されたそれほどに人間のは大きいしかし、神の御子が切の罪をって死んでくださったので、私たちは神の怒りから救われ、神に義とされるそれゆえに、イエスを信じる者は救われる「この人を見よ、この人にぞ、こよなきは現れたるこの人を見よ、この人こそ、人となりたる活(い)ける神なれ木康)

イエスを信じるは、主のみ足の後に従い、の苦しみを共にする人を赦(ゆる)すしみ、愛と救いを教する労苦を共にする。主イエスは私たちに先だ十字架の道を歩み抜き、復活の栄光をられた自分の十架をってに従うは、復活の栄光にあずかる道である。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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