11月3日「その独り子をお与えになったほどに」

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 (ヨハネによる福音書3章16節)

社会の悲しい事件の背後には愛の喪失がある。愛されること、愛することを願いながら、そのことが叶(かな)えられないために、人は自己本位になり、自暴自棄にすらなる。人はだれでも愛されて、愛するようになる。

今日の聖句は 、そのような私たちの現実に関わってくださる神の愛を告げる言葉である。神の愛は人間が考えだした愛ではない 。歴史に生きた主イエスによって現れた愛である。主イエスは神が支配する神の国の福音を宣べ伝え、見捨てられた人々の友となり、自分の正しさを主張して他者を愛せない人々に悔い改めを求めた。主イエスの言葉と業は人々を神の国に招く神の真実と愛に貫かれていた。しかし、 人々は主イエスを十字架につけて殺し、神さえも抹殺する人間の罪を露(あら)わにしたのである。主は十字架の上で、「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください」(ルカ23・34)と祈り、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15・34)と叫んで死んだ。ここに罪人をみ許(もと)に招いてやまない愛の神がおられる。ここに罪人に寄り添ってくださる神がおられる。

神は主イエスを死から復活させて、信じる者を罪から救う主とされた。それは、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(16節)。神は罪人が一人も滅びることを願わない。主イエスを信じる者に与えられる「永遠の命」とは、主に現れた神の真実と愛によって生かされる命である。神の真実と愛に生かされて、私たちは自己本位の罪から解放され、他者を愛する者に変えられる。愛し合うことを願いながら、傷つけ合っている私たちが神の御心(みこころ)に適(かな)う者に変えられる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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